邪馬臺国の奴佳鞮 は諫早北部を領有した王
獅子座中轅星の話の続きだ。
この星の別名を〝なかてのほし〟と言った。
〝なかて〟とは「〝とりつぎ〟或は〝ひきあひ〟など媒酌人的存在」を意味する言葉だったが、それが地名に用いられ、官名にもなったそうだ。
弥生時代に十進法 -須玖権(須玖遺跡群の分銅)-
ン十年前の子供なので、理科の時間に重さを量るのは上皿天秤と分銅だった。
対象物の重さの見当をつけて分銅を置き微調整していくあの緊張感と、ぴったり合ったときの達成感が好きだった。
ピンセットでつまんでそっと置く分 ...
四明とは北極星がTwanからPolarisに還る間の空虚な玄天の名 -歳差の話-
比叡山四明岳の「四明」について、このような話がある。
太宰府の後(うしろ)なる四王寺山は古くは四明(のしり)山と呼び 万葉の頃は大野山(おほのやま)と変りました。四明とは倭人伝の烏奴(うと)と漢訳されておりますが かっての ...