四明とは北極星がTwanからPolarisに還る間の空虚な玄天の名 -歳差の話-

比叡山四明岳の「四明」について、このような話がある。

太宰府の(うしろ)なる四王寺山は古くは四明(のしり)山と呼び 万葉の頃は大野山(おほのやま)と変りました。四明とは倭人伝の烏奴(うと)と漢訳されておりますが かってのTwan(ツワン)から今のPolaris(ポラリス)に還る間の空虚な玄天の名でありました。

(『儺の國の星』p.34)

今回注目したいのは「かってのTwan(ツワン)から今のPolaris(ポラリス)に還る間の空虚な玄天の名」の部分。

これは歳差の話だ。
 
地球は地軸を中心に回転している。

Globespin-tilt-23.4.gif
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File:Globespin.gif – created using NASA’s
“Visible Earth" image (in the public domain).,
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太陽が東から昇り西に沈むのも、夜空にある星が時間と共に移り変わるのも、地球が回っているからである。

夜空を見た時、地軸の方向に星があれば天球の回転の中心となり動かないように見える。

北半球であればそれが「北極星」となる。




更に言うと、地球の自転軸は傾きはじめたコマのような首振り運動をしている。

Lucas Vieira投稿者自身による作品パブリック・ドメイン, リンクによる>

この首振り運動の軌跡は約25800年かけて円を描くので、円周上に近い星がその時々の北極星となる。

エジプト王朝の時代はTwan(ツワン)(りゅう座α星)がその位置にあった。

現在はPolaris(ポラリス)(こぐま座α星)が北極星である。

地軸の方向は徐々に移動するため、天の北極付近に明るい星がない時代もある。

それが「玄天」であり、「四明」だというのだ。

例えばBC500年頃、孔子の時代も北極星のない「玄天」だった。

春秋戦国時代に北辰信仰が盛んになったのも、この時代に北極星がなかったことと関係するのかもしれない。(もちろんそれだけでは無いと思うが。)

〝北辰〟の語が天の北極付近を指したり、北斗七星だったり北極星だったりするのも、歳差によって常に地軸の向きが動いているからだ。



歳差は北辰だけでなくすべての星景色に影響する。

例えばBC10000年頃、北緯33度付近の南の空はこのようになっている。

北緯33度付近 紀元前10000年頃の南空
シリウスが地平線ギリギリにある。

北半球からはシリウスが低い時代もあるのだ。

たまには歳差を頭に入れて天球をグルッと回してみるのもいいかもしれない。