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2022年5月21日『儺の國の星拾遺』,水城

水城は太宰側に貯水されたとする説を前々記事で紹介した。

河川工学の専門家によって発表されたこの説は、水城が磐井によってひらかれた瀦水畓だったという伝承を裏付けた形だ。(と思っている。)

水城 ...

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『儺の國の星』,『儺の國の星拾遺』,メモ

現在は5月2・3・4日となっている脊振神社春の大祭は、中日3日に神事と上宮御開帳が行われる。

今年は快晴で絶好の日和だった。

ゴールデンウィークで大渋滞にはまり下宮で行われる神事には間に合わなかったが、幟が立っ ...

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2022年5月2日『儺の國の星』,『儺の國の星拾遺』,水城

福岡県太宰府市と大野城市にまたがる水城は、『日本書紀』天智天皇3年に「又於筑紫築大堤貯水名曰水城(また筑紫に大堤を築き水を貯え名づけて水城と曰う)」と書かれた土塁だ。

唐・新羅の侵攻に備えた防塁とされている。

Muyo - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=22567832による

『儺の國の星』,『儺の國の星拾遺』

福岡県太宰府市と大野城市にまたがる水城は、もともと筑紫国造磐井がひらいた瀦水畓だという話を紹介した。

この瀦水畓は単なる灌漑用水ではなかったことが書かれている。

万葉の頃までは、山の麓の平坦な谷間を上手(かみて ...

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『儺の國の星』,『儺の國の星拾遺』

海面が今より高かった時代、玄界灘と有明海は繋がっていた。

そのため北部九州は海峡で隔てられ、西の天原島と東の宇佐島で構成されていたとのこと。

二つの島は現在の久留米市長門石付近で接近していた。

その ...

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2022年4月12日『儺の國の星』,『儺の國の星拾遺』

〝なかて〟とは「〝とりつぎ〟或は〝ひきあひ〟など媒酌人的存在」を意味する言葉だったが、諫早地峡のような地形も「なかて」と呼んだというのが前回の話だった。

その続きになる。

同じ國名は大陸から大和に通じる最初の土 ...

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『儺の國の星拾遺』

獅子座中轅星の話の続きだ。

この星の別名を〝なかてのほし〟と言った。

〝なかて〟とは「〝とりつぎ〟或は〝ひきあひ〟など媒酌人的存在」を意味する言葉だったが、それが地名に用いられ、官名にもなったそうだ。

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展示,遺跡

ン十年前の子供なので、理科の時間に重さを量るのは上皿天秤と分銅だった。

対象物の重さの見当をつけて分銅を置き微調整していくあの緊張感と、ぴったり合ったときの達成感が好きだった。

ピンセットでつまんでそっと置く分 ...