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Alkes⑱ 彗星は天浮橋あめのうきはしの物語

暗黒の宇宙の彼方から白一条の彗星が大地に近づく。祖先はその白い光が地上の生命の源であったと信じてきた。天孫降臨の天浮橋(あめのうきはし)の物語はまさにその描写に外ならなかった。

(『儺の國の星拾遺』 p.50

 彗星や流星などが地球にもたらす変化は歓迎されていました。

 植物に影響を与え、突然変異が生まれることを期待されていたのです。
 
 品種改良で生まれる種は弱いけれど天然の突然変異から生まれるものは強い、とも書かれており、そういう意識が彗星の到来を望む気持ちを生んだようです。

 そして「生命を生む」という性質から、彗星は国生み神話の二神に見立てられ、天浮橋(あめのうきはし)の物語として描かれたのだそうです。

 『日本書紀』ではこの部分になります。

伊弉諾尊。伊弉冊尊。立於天浮橋之上、共計曰。底下豈無国歟。

(『日本書紀』国史大系版 J-TEXT

天浮橋(あめのうきはし)を文字通りに解釈すれば、空に架かる橋桁の無い橋になります。

 けれど実際にそういう橋があるはずもなく、チンダル現象の事だとも砂嘴の事だともいわれているようです。

 ここにもう一つ、彗星の尾が加わるわけです。

 Alkes⑰でハレー彗星の尾が北斗七星を覆うことを紹介していました。
 この北斗七星をイザナギイザナミの二神に見立て、彗星の尾がかかる様子を天の浮橋とするのです。

 そこで実際の様子をシミュレーション。

場所は最初に作られたと言う淤能碁呂嶋の候補地の一つ、南あわじ市の沼島にある自凝神社にしました。

BC1999年 沼島自凝神社から見たハレー彗星 
ステラナビゲータ(パノラマ図はカシミール3D)で作成

別の時代ではこんな感じ。

AD218年 沼島自凝神社から見たハレー彗星
 うーん、天浮橋に見えるでしょうか?
  
 ハレー彗星の尾は視野角180 度にもなったことがぞあるようですので、何時の時代か北斗七星彗星の尾に乗っているように見えたことがあったかもしれませんね。

 このシミュレーション図は私の遊びにすぎませんが、彗星の尾が天浮橋だという伝承が荒唐無稽なものではないことはわかると思います。
伝承にはなんらかの意味があるのでしょう。

 『儺の國の星・拾遺』には、伊弉諾伊弉冉二神を北斗七星に見たてる話が他にもあり、そういう文化を持った人たちがいたことを示しているように思いました。

   ||***||***||***||***||

 余談ですが、シミュレーション図で見ると沼島の自凝神社のほぼ真北に「諭鶴羽山」というピークがあります。
 私は全く知らなかったのですが、「ゆづるはやま」と読み、淡路島の最高峰であり信仰の山でもありました。熊野権現が九州の英彦山から熊野神蔵の峯に渡ったときの通り道だとか。
 そのような重要な山を真北に見る位置に自凝神社は建てられた、と言えるのかもしれないと思いました。


追記:昨日の記事がエラーになっていたので再掲します。

熊野道祖神社(福岡市)

福岡市南区にある熊野道祖神社。

神社の由緒。

祭神は、 伊邪那岐命 久那斗神 八衢比古神 八衢比売神。
境内末社に、 福徳稲荷大神 金伯五金大神 伊豆能売大神 のどの大神。

あまり見かけないお名前の神様もいらっしゃいます。

もともと、伊邪那岐命を祀る熊野神社と、久那斗神・八衢比古神・八衢比売神三神を祀る道祖神社は、別々の神社だったそうです。
熊野神社は塩原の射場(「塩原中央部」)に、道祖神社はイトリサヤ(塩原4丁目芸工大前=現在地付近?)にあったとのこと。(って、イトリサヤって何でしょう?そっちが気になります。)

道祖神社に関して、不思議な話がありました。

一つは、明治21年の台風で倒れた榎が一夜のうちに起き上がり、今も樹勢を保っているという話。

もう一つは、昭和2年に境内が学校用地にかかった時、木を伐採したら不慮の災害に遭う者が多く出たと言う話。

それで、遷座は恐れ多いとして現在地にとどまることになったのだそうです。
(動かしたくない人たちが居た、とも言えそう。地元なのでいろいろな話も聞いております。)

境内は落ち着いた雰囲気です。
交通量の多い道路に面していることを感じさせません。

手水舎。

拝殿。

拝殿内部。

照明が仏具の六角菱のかたちです。
拝殿前にはろうそくをお供えする場所もありました。
道祖神社の方は、道祖権現・葛権現と称して奉斎されていたそうですから、その名残でしょうか。

境内末社外観です。
住宅街の中の道路を渡った所にあります。

御神木と福徳稲荷社。

赤い鳥居はご神木に対して立っていました。

熊野道祖神社と末社の間にある狭い道は、かつて那珂川町から塩原橋に抜けるメインストリートでした。
私の子供の頃から見ても、大橋はずいぶん変わりましたね。
久しぶりに歩いて楽しかった。

部分日食&戒壇院

1月6日、部分日食でした。

福岡は薄曇り。

雲の隙間から左上が少し欠けている太陽が見えました。

晴れていればこんな風に見えたはず。

1月6日部分日食 ステラナビゲータによるシミュレーション

星の話はやはり楽しい。

年末に戒壇院のライトアップを見に行きました。