季節が走り抜けていく

久しぶりに太宰府天満宮に参拝したら、手水に八重桜が飾られていました。

かわいい。

感染予防のための花手水が定着しているようですね。

ステイホーム続きでいつの間にか一年。

八重桜どころか、ツツジもハナミズキも満開ですよ。

生活に変化がないので体感時間が進んでいないところへ、いつもよりかなり早い季節の到来。

ますます時間がピンとこなくなってます。

節目節目のイベントとか、定期的に会っていた友人との会話で時を刻んでいたんだなぁと思います。

早くその生活に戻れる事を願うばかりです。

さて、話は変わりまして。

wordpressを5.7にアップデートしたら、表示が崩れるはログインを弾かれるはで調子が悪く、とりあえず手動(ftp)でダウングレード。

個人で作られてる非公式プラグインを使っているのですが、wp5.2ぐらいからphpの呼び出し関数に変更があってエラーが出るようになっていたところへの表示崩れ。

この際DBごと削除してクリーンインストールしようと思っています。あちこちゴミもたまっているのでね。

急にブログが消えていたらそういうことですので、びっくりしないでくださいね。

リストアもバックアップからでは無く、手動(コピペ)でリライトする予定。

4月から環境が変わったので生活を整えるミッションもあって、忘れた頃に何かがぽつりぽつりと進んでいく感じになると思います。

気長に筑前那珂川の星の話を楽しんでもらえたら嬉しいです。

青木天満宮(久留米市)

『儺の國の星拾遺』に、汽水のことを〝あか〟、淡水を〝あを〟と呼んだ話があります。

これは感潮域で意識される言葉のようで、筑後川流域に地名として〝あを〟が残っていると書かれていました。

 〝あか〟とは籾や米の色そのものであるが、本来は含塩淡水を表現する古語であった。塩分の全くない淡水は〝あを〟であって、これは今も千歳川の流域にわずかに生き残っている。

『儺の國の星拾遺』p.104

千歳川=筑後川の別名 

筑後川流域の〝あお〟地名と言えば、思いつくのは久留米市城島町の〝青木〟です。

そんなわけでこの地の鎮守を訪ねたのでした。

特別な時に出される美しい御朱印が有名ですね。

神社の由緒。

『社方開基』によると、老松宮の「社領弐拾五町、天正年中まであった」と申し伝えています。当社の建立につきましては、一の宮の南方、広々とした田園に囲まれた老松茂る場所に後二条院の御宇正安2年(1300)に当村の領主堀右京進が天満宮を勧請したのが始まりです。社号を老松宮とつけ、寛永年間には久留米藩有馬氏より社領200石の寄進を受け、慶応4年(1868)に天満宮と改称しました。 明治6年3月14日に郷社に被定され、現在でも青木之荘総鎮守の氏神様として、篤い信仰を集めています。

(青木天満宮のHPより引用)
*「社方開基」
  =江戸時代に久留米藩の神社を調査した記録

神門の所に運玉が置いてあります。

庭の亀石に向かって投げ、運を試すのだそうです。

こちらはうめき灯籠。

飢饉・疫病等の大きな不幸が訪れるときうめくのだそう。
平成3年(1991)の大型台風来襲の折にもうめき声をあげたとのこと。
新型コロナウィルスはどうだったのでしょうね。

この灯籠は天明の大飢饉があった年(天明5・1785)に奉納されたもので、神社でも飢饉を逃れようと祈願を行ったそうです。
その時、『鬼門に向かい、弓を鳴らし矢を放て。』との神託を受け、その通りにしたら難を逃れることができたのだとか。

以来火清鳴弦祈祷ひきめんごきとう神事として、現在でも200年前さながらの状態で厳粛に斎行されているとのこと。

祭典日は3月31日と4月1日。
ちょうど明日あさってですが、今年は平日なので行くのはちょっと難しいかな。

そういえば、神社には龍の彫刻がよくありますが、こちらは翼竜でした。

筑後地区では翼がある龍をよく見るように思います。
何かあるのでしょうか。

さて、冒頭の〝あか〟と〝あお〟の話に戻りますが、ここは有明海まで10キロほどと近く、弥生時代(に限らず)は大潮の影響があったと思える場所でした。
耕作可能地として〝あお〟が入った地名でマーキングしたとしてもおかしくないと思えました。

河口の〝あお〟地名を全国的に探すと面白いかもしれませんね。

それと船に入った水を〝あか〟と言うのもこれかなぁと思ったのですが、どうでしょう。
〝あか〟は波をかぶったか浸水したかで入った塩水のことで、掻き出すべきもの。
〝あお〟は雨水などの真水のことで、貴重だから溜めておくべきもの。

なんて。
そんな話はどこにもないですね。

Honan Opera

懐かしいものが出てきました。
台北で見た舞台のリーフレットです。

日期77年とあるので1988年?

中華民國海軍陸戰隊の旗章があります。

そう、演じているのは海軍陸戦隊豫劇隊。(当時)
場所は國軍文藝活動中心(軍の文藝活動センター)でした。(当時)

ホテルのゲストリレーションズに北京の京劇のパンフレットを見せて、こういうのが見たいと言ったらこちらを案内されまして。

國軍文藝活動?とちょっとびっくり。

でも前年まで戒厳令が敷かれていたと言う背景があったので、やはり何事も軍部なんだなーと妙に納得。

それにどこの国にも軍楽隊はあるので、それを思えば軍部に劇団があってもおかしくないか、とも思ったのでした。(あくまでも、当時の私の理解です。)

見に来ていたのは軍服の方が多かったように記憶しています。
舞台が始まる前に起立しての国歌斉唱があったのも印象に残っています。
街の自由な雰囲気とは違って、なんだかすごくカタイ感じでした。

今回記事を書くため中華民国海軍陸戦隊をざっと検索。
wikiペディアによると1988年7月に豫劇隊の編成が命令されたとあります。

見たのは1988年8月だから、できて一ヶ月だったという事ですね。
できたてホヤホヤだったのか、知らなかったー。

国立伝統芸術センターのページでは、国防部の支持を受けて「海軍陸戦隊飛馬豫劇隊」が組織されたと書かれていて、どうやら高雄にいた豫劇団からいわば〝派遣?出向?〟のような形で軍部に所属した一団がいたようです。
うん?なんかキナくさいぞ。(個人の見解です。)

その後1996年1月1日に豫劇隊は教育部に所属するようになり、最終的に「国立伝統芸術センター台湾豫劇団」になっています。
はー、知らなかったー。(二度目)

芸術を純粋に芸術として鑑賞できるって、いいことですね。

また行けたらいいなぁ。

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