シリウス

『儺の國の星拾遺』

景行帝九(七九)年七月十一日(八月二十四日)Vesuvio(ベスビアス(ママ))は前古未曾有の大噴火を起こしPompeii(ポンペイ)を灰燼の中に埋没した。鉄の檻(をり)の中に繋(つな)がれた飢たる獅子の目の光のごとくsirius(シ ...

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『儺の國の星』,『儺の國の星拾遺』

『儺の國の星』を手にした方が星の話だと思って読み始めると、椋の木についての章が続くので面食らうようだ。

なかなか星の話にならないあの長い導入は、それまでの連載『那珂川の歳時月例』や『那珂川の地名考』からの〝那珂川町の地誌〟 ...

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『儺の國の星拾遺』

久留米市田主丸町二田(ふたた)月読神社の神紋は月に三つ星紋だが、月の向きに意味があるとすれば下弦の月になる。

ずっと気になっていたところ、このような記述を見つけたのでメモ。

 月齢23~25の頃を月初

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日常

『儺の國の星』復刻版第2版と『儺の國の星 拾遺』第2版が那珂川市より出ている。

第二版は用紙が変わり厚みが増し、表紙も簡易になっていた。

奥付。

郵送にも対応されている。
興味のある方は那珂 ...

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2023年3月12日『儺の國の星拾遺』,Duhr,中轅星

太子星の名もあった。中世は上人の托鉢の椀の形を想像し、佛壇に供うべき器に見たてたかもしれない。又皇太子はいつの世も天皇に奉るべき暦書の編纂と暦日の観測が業務であった。この星が登る頃は立春であり、又春分であった。

(『儺の國の星拾 ...

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『儺の國の星』,『儺の國の星拾遺』,Duhr,中轅星

 昔、天山南路の中に鄯善(ぜんぜん)(前一三九~後六三五)なる國が栄えた。隊商の憩う街であった。
 欧亜を往来する民族を単于(せんう)という。後にこれが極東に定着する頃は燕(前一一二二~二二二)の世に入ってからのことであった。 ...

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『儺の國の星拾遺』,メモ

大伴家持(七一八~七八五)が、太宰権帥(だざいごんのそつ)大伴旅人(六六五~七三一)と共に筑紫に在ったのは養老四(七二〇)年から天平二(七三〇)年の間であった。
 萬葉集二十巻を編簒したのは大伴家持と伝えられている。萬葉なる家 ...

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2023年1月21日『儺の國の星』,『儺の國の星拾遺』,メモ

 筑紫を〝つくし〟と読むのは大和の上方の士族(*ママ)であった。地元は今に至るまで〝ちくし〟を守っている。察するに本来は〝つくし〟であったらしいが、太宰府なる万人往来の国際都市が、神功皇后二十三 (二二三)年以来連綿として隋(五八一~ ...