板取星 -瀦水畓の水門を開く季節-

水城は太宰側に貯水されたとする説を前々記事で紹介した。
河川工学の専門家によって発表されたこの説は、水城が磐井によってひらかれた瀦水畓だったという伝承を裏付けた形だ。(と思っている。)
水城 ...
背振神社春祭り2022

現在は5月2・3・4日となっている脊振神社春の大祭は、中日3日に神事と上宮御開帳が行われる。
今年は快晴で絶好の日和だった。
ゴールデンウィークで大渋滞にはまり下宮で行われる神事には間に合わなかったが、幟が立っ ...
『書紀』における「堤」はすべて水をためる構造物を意味している

福岡県太宰府市と大野城市にまたがる水城は、『日本書紀』天智天皇3年に「又於筑紫築大堤貯水名曰水城(また筑紫に大堤を築き水を貯え名づけて水城と曰う)」と書かれた土塁だ。
唐・新羅の侵攻に備えた防塁とされている。
筑紫国造磐井がひらいた水城なる瀦水畓とは

福岡県太宰府市と大野城市にまたがる水城は、もともと筑紫国造磐井がひらいた瀦水畓だという話を紹介した。
この瀦水畓は単なる灌漑用水ではなかったことが書かれている。
万葉の頃までは、山の麓の平坦な谷間を上手(かみて ...
水城を中津あるいは中大江 と言った

海面が今より高かった時代、玄界灘と有明海は繋がっていた。
そのため北部九州は海峡で隔てられ、西の天原島と東の宇佐島で構成されていたとのこと。
二つの島は現在の久留米市長門石付近で接近していた。
その ...
「長門」は大陸から大和に通じる最初の土地
「長門石」は宇佐島と天原島を結ぶところ

〝なかて〟とは「〝とりつぎ〟或は〝ひきあひ〟など媒酌人的存在」を意味する言葉だったが、諫早地峡のような地形も「なかて」と呼んだというのが前回の話だった。
その続きになる。
同じ國名は大陸から大和に通じる最初の土 ...
邪馬臺国の奴佳鞮 は諫早北部を領有した王

獅子座中轅星の話の続きだ。
この星の別名を〝なかてのほし〟と言った。
〝なかて〟とは「〝とりつぎ〟或は〝ひきあひ〟など媒酌人的存在」を意味する言葉だったが、それが地名に用いられ、官名にもなったそうだ。
弥生時代に十進法 -須玖権(須玖遺跡群の分銅)-

ン十年前の子供なので、理科の時間に重さを量るのは上皿天秤と分銅だった。
対象物の重さの見当をつけて分銅を置き微調整していくあの緊張感と、ぴったり合ったときの達成感が好きだった。
ピンセットでつまんでそっと置く分 ...