『書紀』における「堤」はすべて水をためる構造物を意味している(追記有り)
2022/11/27追記
水城欠堤部の石敷遺構と畦道と落差工に書いたが、水城の欠堤部は築造当時からあったと言うことで、土塁の高さで満水になることはあり得ない事がわかった。
水城欠堤部の石敷遺構と畦道と落差工に書いたが、水城の欠堤部は築造当時からあったと言うことで、土塁の高さで満水になることはあり得ない事がわかった。
この話はあくまでも〝伝承〟の紹介としてお読みいた ...
水城を中津あるいは中大江 と言った(追記有り)
2022/11/27追記
水城欠堤部の石敷遺構と畦道と落差工に書いたが、水城の欠堤部は築造当時からあったと言うことで、土塁の高さで満水になることはあり得ない事がわかった。
水城欠堤部の石敷遺構と畦道と落差工に書いたが、水城の欠堤部は築造当時からあったと言うことで、土塁の高さで満水になることはあり得ない事がわかった。
この話はあくまでも〝伝承〟の紹介としてお読みいた ...
「長門」は大陸から大和に通じる最初の土地
「長門石」は宇佐島と天原島を結ぶところ
〝なかて〟とは「〝とりつぎ〟或は〝ひきあひ〟など媒酌人的存在」を意味する言葉だったが、諫早地峡のような地形も「なかて」と呼んだというのが前回の話だった。
その続きになる。
同じ國名は大陸から大和に通じる最初の土 ...