天智帝は磐井がひらいた水城を疎水式に船を通す湖にした(追記有り)
2022/11/27追記
水城欠堤部の石敷遺構と畦道と落差工に書いたが、水城の欠堤部は築造当時からあったと言うことで、土塁の高さで満水になることはあり得ない事がわかった。
水城欠堤部の石敷遺構と畦道と落差工に書いたが、水城の欠堤部は築造当時からあったと言うことで、土塁の高さで満水になることはあり得ない事がわかった。
この話はあくまでも〝伝承〟の紹介としてお読みいた ...
瀦水畓の「畓」と「salta」と「猿田」
山の麓の平坦な谷間を上手(かみて)と下手(しもて)の二つに別けて、その堺の狭く縊(くび)れたところを仕切って、ここに堤と閘門を置き、冬場は上手に水を蓄え、下手に麦を播き、夏場はここに水を通して早生の水稲を植え、やがて上手の水が空閑(こ ...
水城の取水口
瀦水塘の閘門の板扉を揚げて水を落とす時期に輝く星を「板取星」と呼ぶ話を紹介した。(前記事参照)
太宰府市と大野城市にまたがる水城もまた「瀦水塘」だというのが『儺の國の星拾遺』に伝わる話だが、水城の閘門(この場合は取水口の意 ...