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『儺の國の星拾遺』,メモ

『儺の國の星拾遺』p.204に「荊楚の民族は月の元を下弦に定めていた」とある。
月齢23~25の頃を月初めとしたという。

以前、月読神社(田主丸町二田)神紋が下弦の三日月だったことから二十三夜待ちとの関連で紹介した ...

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『儺の國の星』,『儺の國の星拾遺』

 

日本人も蒙古人もその遙(はる)かな祖先はAndromeda(アンドロメダ)大星雲を拝していた。神代紀に出る高木神(**たかきのかみ)がそれである。これを大嶽(たいがく)と名付けていた。
 日本は文永元年、蒙古は ...

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『儺の國の星』,『儺の國の星拾遺』

1264年に日本は年号を「文永」に改元しているが、その理由はアンドロメダ銀(*)河と太陽が同時に南中したこととする話がある。

 日本人も蒙古人もその遙(はる)かな祖先はAndromeda(アンドロメダ)大星雲を拝していた。 ...