続・荊楚の民族は月の元を下弦に定めていた

『儺の國の星拾遺』p.204に「荊楚の民族は月の元を下弦に定めていた」とある。
月齢23~25の頃を月初めとしたという。

『儺の國の星拾遺』p.204より

以前、月読神社(田主丸町二田)神紋が下弦の三日月だったことから二十三夜待ちとの関連で紹介した。

だがよく考えると、この話のポイントは〝下弦の半月〟である。
 
〝半月〟と言うことは太陽との方位角が90°と言うこと。

方位角が90°と言うことは時間差が6時間ということ。

つまり、日の出時に月は南中しており、正午に西の地平にあり、日没時に月は地平線の真下にあり、真夜中の0時に東の地平にある。

下弦の半月の位置で時刻がわかるのだ。

また「この下弦の月は正しく夜半に東の空の水平線に上るところから、誰でもこれが元宵であり元暁であることを見さだめるに容易であった。」とあるが、真夜中に限らずともよい。

朝日が上るとき下弦の半月が南中していれば、あるいは太陽が南中しているとき下弦の半月が地平に沈んでいれば、その日(元旦)だとわかる。

これは便利。

月の元を下弦に定めていたと言うのも頷ける。