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2023年3月12日『儺の國の星拾遺』,Duhr,中轅星

太子星の名もあった。中世は上人の托鉢の椀の形を想像し、佛壇に供うべき器に見たてたかもしれない。又皇太子はいつの世も天皇に奉るべき暦書の編纂と暦日の観測が業務であった。この星が登る頃は立春であり、又春分であった。

(『儺の國の星拾 ...

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『儺の國の星』,『儺の國の星拾遺』,Duhr,中轅星

 昔、天山南路の中に鄯善(ぜんぜん)(前一三九~後六三五)なる國が栄えた。隊商の憩う街であった。
 欧亜を往来する民族を単于(せんう)という。後にこれが極東に定着する頃は燕(前一一二二~二二二)の世に入ってからのことであった。 ...

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『儺の國の星拾遺』,メモ

大伴家持(七一八~七八五)が、太宰権帥(だざいごんのそつ)大伴旅人(六六五~七三一)と共に筑紫に在ったのは養老四(七二〇)年から天平二(七三〇)年の間であった。
 萬葉集二十巻を編簒したのは大伴家持と伝えられている。萬葉なる家 ...