Denebola③ 「鷹雉たかとり」星は漢代の踏歌「赤鳳凰来」を想起させる名

 デネボラの別名「綾歌星」「鷹雉星」「夜楽星」は、音曲に関係する名付けとして一括りで語られています。

 整理して箇条書きにしました。

     

  1. 「綾歌星」
    三拍子の音曲〝綾歌〟からついた名で、神楽舞の中の三拍子の踏歌がこの系統。
  2.  

  3. 鷹雉星たかとりぼし
    〝たかとり〟とは、山雞やまどりの古名。
    倭人が天上に舞い遊ぶ鳳凰・朱雀(注)の類と考え、つけた名。
  4. (注:原文は「孔雀」。口述の「すざく」を「くじゃく」と聞き間違えたかもしれないと思い、nakagawaが「朱雀」としました。)

  5. 夜楽星よかぐらぼし(注)」
    いつの頃からかデネボラを拝して夜の神楽を明け方まで張るようになったのでついた名。

    (注:「夜神楽星」と書くべき所です。「神」の脱字の可能性があります。)

 こうして並べると、「鷹雉」だけ鳥の名で、音楽を連想させません。

 なのになぜか「綾歌」「夜楽」と同じ扱いです。

 今日はこのことについて考えたいと思います。

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アカヤマドリ
アカヤマドリ
出典:Tassy 日本の野鳥識別図鑑 https://zukan.com/jbirds/leaf78093

 ヤマドリはキジ科の鳥で日本の固有種だそうです。

 雌雄が峰を隔てて寝るという伝承から、和歌などでは「ひとり寝」の例えとして用いられます。

 また長野には、山鳥の三十三節の尾羽で作った矢で八面大王を退治したという話があるそうです。

 文学的、神秘的なイメージを持つ鳥でもあるのですね。

 この鳥を倭人は
「天上に舞い遊ぶ鳳凰、或は朱雀(原文は孔雀)の類の名と考えた(『儺の國の星拾遺』p.163)」
のです。

 要するに「鳳凰」の代替なのですね。

 鳳凰なら中国大陸の話だろうと見当を付け、検索していると、漢代に「赤鳳凰来」という踏歌があったことがわかりました。

《赤凤皇来》是汉代歌曲名,出自干宝 《搜神记》卷二。

 もう少し詳しく書かれた『西京雑記』から引用します。

[本文]

十月十五日。共入靈女廟。以豚黍樂神。吹笛擊筑。歌上靈之曲。既而相與連臂。踏地為節。歌赤鳳凰来。

*早稲田大学古典籍総合データベース『西京雑記』より

[書き下し文]

十月十五日、共に霊女廟に入り、豚と黍を以て神を楽しませる。
笛を吹き筑を撃ち、上霊の曲を歌う。
既にして相共に臂を連ね地を踏み節を為す。
赤鳳凰来を歌う。

[口語訳]

十月十五日、共に霊女廟に入り、豚と黍を供えて神を楽しませる。
笛を吹き、琴をたたいて鳴らし上霊の曲を歌う。
そうこうしているうちに肩を組んで(手を繋いで)、足で地を踏み拍子をとる。
赤鳳凰来(「赤い鳳凰がやって来る」という歌)を歌う。

*書き下し・口語訳はnakagawa

 満月の日に神女を祭る祠にお供えをして、踏歌を歌う様子がうかがえます。 
 
 鳳凰のことを倭人がヤマドリと考えたというのは、どうもこの曲に関係ありそうな気がしました。

 「赤い鳳凰が来る」という歌に対して、「赤い鳥?それならヤマドリみたいなものかな」と思ったのではないかと。

 そうだとすれば、ヤマドリの古名「鷹雉」が、音曲に関係あるデネボラの別名になっているのも頷けます。 

 もしかしたら他の理由があるかもしれませんが、「鷹雉」が音曲を連想ざせる名であることの理由の一つにはなると思いました。

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 漢王朝の末期は世が乱れましたから、海を渡って逃れてきた人達がいたのかもしれませんね。

Denebola② 鷹雉星たかとりぼしとも云い 夜楽星よかぐらぼしとも言う

 Denebolaデネボラの別名に「鷹雉星たかとりぼし」「夜楽星よかぐらぼし(注1)」があります。

 鷹雉星たかとりぼしとも云い、夜楽星よかぐらぼし(注1)とも言う。〝たかとり〟とは、あの朱紅の羽の装いの鮮やかな山雞やまどりの古名であるが、倭人は天上に舞い遊ぶ鳳凰、或は孔雀(注2)の類の名と考えたものとみえる。
 古歌に曰う
  あしひきの 山鳥の尾の しだりをの
  ながしきよを 一人かもねむ
 序詞としては最長の句が〝なか〟を修飾している。この星が深夜に東空に出初でそめるのは、今の陽暦で十二月十六日である。昔近東のSumerシュメールの王朝(前二九一〇~一九五五)の頃は、この星の砂漠の上に明滅するを見て、秋分元日とした。今から五九六三年前のことであった。  
 倭人はいつの頃か、この星の光りと輝きを拝して夜神楽よるのかぐらを明け方まで祝宴を張ることになっていた。そして年明けの暦方を定めることになっていた。爐にかけた釜の湯の煮え沸る音と、立ちこめる湯気の形と勢をみて、来る年の運を卦けたのである。

(『儺の國の星拾遺』p.163)

 この話を整理し、ポイントを四つにまとめてみました。

  1. デネボラに山鳥の古名〝鷹雉〟をつけ、「鷹雉星」とした。
  2. 〝鷹雉〟とは鳳凰あるいは孔雀(注2)の類い。
  3. デネボラが深夜に東天に出るのは現在の暦で12 16 日。シュメール王朝の頃はこの星を指標として秋分元日とした。
  4. 倭人はいつの頃からかデネボラを拝して夜神楽を明け方まで行うようになり、年明けの暦方を定めることになっていた。(だからデネボラを「夜楽星よかぐらぼし(注1)」とも言う。)

 獅子座にあるデネボラは、〝鳳凰・シュメールの秋分元旦・倭人の夜神楽・暦方〟が関わる星なんですね。

 しかも、「綾歌星」の名もありますから、三拍子の音曲も関わって来ます。

 もし12 16 日に催行される三拍子の夜神楽があれば、何かヒントが得られるかもしれない、と思いました。そんな夜神楽があれば、ですが。

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注1:
「よかぐらぼし」を漢字で書くと、普通は「夜神楽星」となりますが、原文は「夜楽星よかぐらぼし」です。「神」の脱字かもしれませんがそのまま引用しました。

注2:
原文通り「孔雀」と書きましたが、「朱雀」の誤写かもしれない、とも思います。(口述筆記の際の聞き取り間違いかもしれないと。)
 ここでの主題は〝赤い鳥〟なので、内容としては朱雀の方が合っています。
   

 

Denebola① 綾歌星 〝綾歌あやうた〟とは三拍子の音曲

 獅子座β星(獅子座の中で二番目に明るい星)Denebolaデネボラの別名を「綾歌星」と言うそうです。

『儺の國の星拾遺』p.163より

 星座図では獅子座の後ろ足部分になります。
 (東天にあるときは中轅星の10°程下。)

太宰府政庁跡の大極殿あたりから見た東天の獅子座
太宰府政庁跡の大極殿あたりから見た東天の獅子座

 星の名前になっている「綾歌あやうた」とは、三拍子の音曲のこと。また「あや」は、北方を意味する「あへ」に由来するとも書かれています。

 〝あや〟とは〝あへ〟即ち北方を表現する古語であった。綾歌あやうたを高麗では斎歌さいかとよぶ旋律であった。〝さい〟は三の古語であって、あきらかに三拍子の音曲であった。大和の催馬楽さいばらがこの系統であって、紫歌さいが、或いは雑歌さいか、時には設楽歌しだらうた椎葉歌しいばうた柴雅歌さいがうたなどとも書かれた古曲であった。

『儺の國の星拾遺』P.165

 まとめると、北方を想起させる三拍子の楽曲、というところでしょうか。

 日本の伝統的な音楽に三拍子の曲はないというのが通説ですが、著者によると、神楽舞の中にある三拍子の踏歌がこの「綾歌」なのだとか。

 神楽舞の中に特に三拍子の踏歌があった。まさに遠い祖先の心からなる音を、足を挙げて神に謝する儀式であった。
(中略)
 蝦夷で〝ゆうから〟、津軽で〝じょんがら〟、そして琉球で〝やあく〟と言う。もし漢人が音写するならば、寿語じゅご祝歌と書くことになる。時には祖先伝来の歴史を綴る歌謡物語であり、又時には神に納める奉祝讃歌である。

(『儺の國の星拾遺』p.165)

 右の文中に出てくる〝ゆうから〟はアイヌ民族に伝わる叙事詩、〝じょんがら〟は三味線の伴奏がつく民謡のことだと思われます。
 琉球の〝やあく〟はわかりませんでした。(個人的には「世乞ゆーくい」が近いのかな?と思いましたが。)

 〝〟と〝〟は硬口蓋接近音で似ています(〝ょんがら〟〝ゅご祝歌〟の語頭子音と〝うから〟〝あく〟の語頭子音)ので、当時の当地の人にこう表記される音曲があったと思われます。

 それは単なる三拍子の楽曲ではなく、「時には祖先伝来の歴史を綴る歌謡物語であり、又時には神に納める奉祝讃歌」だったのですね。

 デネボラは綾歌星の他に夜楽星*よかぐらほしの別名も持っていて、この星と神楽が結びついているのは確かなようです。

*私注:「よかぐらぼし」の漢字は普通「夜神楽星」となるところですが、原文は「夜楽星」となっています。「夜神楽星」の脱字かもしれませんがそのまま書いています。