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『儺の國の星』,『儺の國の星拾遺』,メモ

現在は5月2・3・4日となっている脊振神社春の大祭は、中日3日に神事と上宮御開帳が行われる。

今年は快晴で絶好の日和だった。

ゴールデンウィークで大渋滞にはまり下宮で行われる神事には間に合わなかったが、幟が立っ ...

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2022年5月2日『儺の國の星』,『儺の國の星拾遺』,水城

2022/11/27追記
水城欠堤部の石敷遺構と畦道と落差工に書いたが、水城の欠堤部は築造当時からあったと言うことで、土塁の高さで満水になることはあり得ない事がわかった。

この話はあくまでも〝伝承〟の紹介としてお読みいた ...

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2022年4月13日『儺の國の星』,『儺の國の星拾遺』

2022/11/27追記
水城欠堤部の石敷遺構と畦道と落差工に書いたが、水城の欠堤部は築造当時からあったと言うことで、土塁の高さで満水になることはあり得ない事がわかった。

この話はあくまでも〝伝承〟の紹介としてお読みいた ...

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2022年4月12日『儺の國の星』,『儺の國の星拾遺』

〝なかて〟とは「〝とりつぎ〟或は〝ひきあひ〟など媒酌人的存在」を意味する言葉だったが、諫早地峡のような地形も「なかて」と呼んだというのが前回の話だった。

その続きになる。

同じ國名は大陸から大和に通じる最初の土 ...

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『儺の國の星拾遺』

獅子座中轅星の話の続きだ。

この星の別名を〝なかてのほし〟と言った。

〝なかて〟とは「〝とりつぎ〟或は〝ひきあひ〟など媒酌人的存在」を意味する言葉だったが、それが地名に用いられ、官名にもなったそうだ。

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展示,遺跡

ン十年前の子供なので、理科の時間に重さを量るのは上皿天秤と分銅だった。

対象物の重さの見当をつけて分銅を置き微調整していくあの緊張感と、ぴったり合ったときの達成感が好きだった。

ピンセットでつまんでそっと置く分 ...

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『儺の國の星拾遺』,メモ

比叡山四明岳の「四明」について、このような話がある。

太宰府の後(うしろ)なる四王寺山は古くは四明(のしり)山と呼び 万葉の頃は大野山(おほのやま)と変りました。四明とは倭人伝の烏奴(うと)と漢訳されておりますが かっての ...

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『儺の國の星』

前記事で触れた、筑紫の神々が畿内に遷座したという話には続きがある。

筑紫の神々は畿内に遷座して故郷発祥の地を凌ぐほどの繁栄隆昌を示している。背振神社は京都賀茂神社に、現人神社は大阪の住吉大社に生まれ変わって本家本元はまこと ...