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2022年4月12日『儺の國の星』,『儺の國の星拾遺』

〝なかて〟とは「〝とりつぎ〟或は〝ひきあひ〟など媒酌人的存在」を意味する言葉だったが、諫早地峡のような地形も「なかて」と呼んだというのが前回の話だった。

その続きになる。

同じ國名は大陸から大和に通じる最初の土 ...

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『儺の國の星拾遺』

獅子座中轅星の話の続きだ。

この星の別名を〝なかてのほし〟と言った。

〝なかて〟とは「〝とりつぎ〟或は〝ひきあひ〟など媒酌人的存在」を意味する言葉だったが、それが地名に用いられ、官名にもなったそうだ。

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展示,遺跡

ン十年前の子供なので、理科の時間に重さを量るのは上皿天秤と分銅だった。

対象物の重さの見当をつけて分銅を置き微調整していくあの緊張感と、ぴったり合ったときの達成感が好きだった。

ピンセットでつまんでそっと置く分 ...

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『儺の國の星拾遺』,メモ

比叡山四明岳の「四明」について、このような話がある。

太宰府の後(うしろ)なる四王寺山は古くは四明(のしり)山と呼び 万葉の頃は大野山(おほのやま)と変りました。四明とは倭人伝の烏奴(うと)と漢訳されておりますが かっての ...

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『儺の國の星』

前記事で触れた、筑紫の神々が畿内に遷座したという話には続きがある。

筑紫の神々は畿内に遷座して故郷発祥の地を凌ぐほどの繁栄隆昌を示している。背振神社は京都賀茂神社に、現人神社は大阪の住吉大社に生まれ変わって本家本元はまこと ...

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『儺の國の星』

最澄に関する背振山周辺の伝承は、つまるところ背振の山岳寺院を権威付ける付会ではなかったかという個人的な感想を前回書いた。

一旦言葉にすると他の事柄も疑わしく思えてきて、例えば比叡山四明岳を東に見るように上賀茂神社が建てられ ...

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2022年4月5日メモ

前記事で紹介した、最澄が猿田彦命を山王として比叡山の日枝神社に祀ったと言う話は、福岡県那珂川市にある日吉神社に伝わるものだ。

また、山岳仏教の地背振山にも最澄に関する話がある。

今回は地元に伝わっている話をまと ...

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2022年4月4日『儺の國の星』,『儺の國の星拾遺』

前記事紅白の話から、話題は猿田彦命の話に飛ぶ。
猿田彦の姿が赤い顔と白い髭で表わされる場合があるからだろう。

日本の猿田彦命は古くは赤面白毛の姿であり、これを山王として伝教大師最澄(七六六~八二二)が比叡山の日枝神 ...