北辰妙見信仰が現れる以前はすべて翼が万民の事始めだった

北辰妙見が生命の始元という信仰が現れる以前は、すべて翼が万民の事始めになっていた。

(『儺の国の星拾遺』p. 49

『儺の国の星拾遺』p. 49に書かれているこの一文。

どういうことだろうかと、色々考えていた。

この場合〝翼〟とは二十八宿の一つ〝翼宿〟を意味する。

背景にあるのは翼宿が〝宇宙の彼方から飛来する彗星の門〟であることだろう。

とすれば、星辰信仰の対象として彗星が北辰に先立っていた時代があったことを意味する。

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彗星と共にくる地球外物質は生命に突然変異をおこし、新品種などの恵みをもたらした。
(過去記事参照→生命の起源は宇宙にありと言う概念 籾種の変異は里よりも山突然変異と適者適存の56億7000万代

自然界に存在する野生種だけが食料だった時代は、彗星のこのような働きを期待しただろう。

到来前後のちょっとした変化も見逃さなかったと思われる。

だが、栽培や飼育・品種改良は時代と共に人の手で可能になっていった。

彗星の恵みに頼らずともよくなり、存在が薄れていったのだろうか。

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また堯帝や成帝の時代に、ハレー彗星とカリポス周期が同じであることを利用した暦正が行われていた。(過去記事参照→彗星の間隔七十六歳 太陰暦を太陽暦に調節する時間的領域の限界

これもまた、二十八宿などの考え方が登場するにつれ廃れていったと思われる。

何より戦乱の時代には短命な政権が続いたので、76年という周期を待つことが出来なかっただろう。

地軸の方向にあって動かない北辰の存在へ関心が移ったことも頷ける。

もちろん北辰が尊ばれる理由はこれだけではないが。

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『儺國の星拾遺』序文に、筆者の曾祖父がハレー彗星の近日点を予測した話が書かれている。

「この時が六十九()の方冊の家系を語る」と信じて他界したとある。

1910年に接近したハレー彗星を見ることは無かったが、予測は見事に的中したそうだ。

考えてみればこれは北辰妙見信仰が現れる以前の、翼が万民の事始めだった時代の暦正と言えるかもしれない。

もっと言うなら、堯帝以来連綿と受け継がれてきた暦法ではなかったかと思う。

ちょっと妄想が過ぎるかもしれないが、大陸の神話時代の暦法が海を渡り生き続けていたとしたらロマンだ。

*推=メトン周期 一推は約19年

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なお、『儺の國の星』『儺國の星拾遺』には、彗星の項目が他にも多数ある。

彗星の別名には「姫子星(きしのほし)」「因幡星」「伊吹星」など呼称も様々である。

本項は田付星に関連したもので、彗星に関する記述の一部に過ぎない。

更に言えば、「古人は星辰を生命の根元と信じました。(『儺の國の星』p.50)」のように、彗星に限定しない話もある。

追々紹介していきたい。