「なかて」とは竿に紅白の布を螺旋状に巻いて神を先導する器

「獅子座」を「軒轅」といい、「軒轅」を「仲女星(なかてのほし)中條星(なかてのほし)」といった話の続きである。

「なかて」とは「時間空間の無明未妙の状を形容した古語」であり、「〝とりつぎ〟或は〝ひきあひ〟 など媒酌人的存在」を意味していた。

その「なかて」に関連してこんな話が書かれている。

〝なかて〟とは竿に紅白の二条の布を螺旋状に巻いて、神を先導する器である。今も宗像沖島(おきのしま)にこの伝統が守られている。五十年程前は祝賀の祭典の会場では天幕を支える柱にこの様式が採用されていた。


*「沖ノ島」の表記については原文通り「沖島」とした。

(『儺の國の星拾遺』p.129)

「なかて」が媒酌人的存在を意味する言葉であることから、神と人を取り次ぐ祭具の名になったようだ。

その伝統を宗像市沖ノ島が守っており、祝賀の祭典で用いられる様式にもなっているとのこと。

この二点について考えてみた。

沖ノ島が守っている伝統

「なかて」「白二条の布」「宗像沖島」のワードから思いつくのは、中世に沖ノ島で行われていたという「御長手神事」である。

「長手」は〝ながいもの〟が第一義だろうが、「なかて」を連想させる語だ。

「御長手神事」について

以下、沖ノ島「御長手神事」に関する記録を並べてみる。(縦書きのためPC閲覧推奨。)

①1368年『正平二十三年宗像宮年中行事』 

一、息御嶋 (日本與高麗之堺
第一大神宮本社
)
 云々、
一、第一大神宮佛神事
 三月廿日 御長手御鍛冶屋御入神事 社務役
 六月廿日 御長手神事 社務役
 九月廿日 御長手御鍛冶屋御入神事 社務役
一、息御嶋神事 第一宮本社
 春 御長手神事 夏 同神事
 秋 同神事   冬 同神事
一、政所社神事
 十二月十六日 御長手神事 社務役

御長手神事と沖ノ島」岡崇 より引用

②1375年頃『宗像宮年中行事』

(十月)此月(仁波)御長手之竹従瀛参、(日波)不定也
 

御長手神事と沖ノ島」岡崇 より引用

【読み下し】
この月(十月)には御長手の竹、瀛()り参ず、日は不定なり。
*読み下しはnakagawa。「瀛」は沖ノ島の事と思われる。

③鎌倉末期頃『宗像大菩薩縁起』

強石将軍(今宗像
大菩薩
)
白旗赤旗()立置(玉惠
利、
)

於今者、其跡()一所者號赤旗之社、
一所者號旗鉾之御堂、
其後強石将軍根本御影向之地、息御嶋()
御手長()、立置利(玉惠
利、
)

是則(異國征伐御
旗杆也、
)

毎年不絶、
三竹之瓶中()
無増減生長須留不思議有之、

御長手神事と沖ノ島」岡崇 より引用

 *改行はnakagawa
【読み下し】
強石将軍 今宗像大菩薩 白旗赤旗を立て置き給えり。
今は、その跡を一所は赤旗の社と号し、
一所は旗鉾の御堂と号す。
その後強石将軍根本の御影向の地、息御嶋に
御手長を、立て置けり給えり。
是れ則ち異国征伐御旗杆なり。
毎年絶えず、三竹の瓶中に、
増減無く成長する不思議これ有り。

読み下しはnakagawa


*「御手長」は「御長手」と同じ。
*「今者」は二文字で「今者(いま)」とも読める。

①には「御長手神事」が沖ノ島で春夏秋冬の年四回行われていたことが、②には沖ノ島の竹が十月に宗像宮に来ていたことが書かれている。
③には強石将軍こと宗像大菩薩が白旗赤旗を立て置いたこと、影向(神仏が一時姿を現すこと)の地である沖ノ島に「御長手」を立てたところ、その竹が毎年増減すること無く生長したことが書かれている。

①②③をまとめると、「御長手」とは強石将軍が赤旗白旗をつけていた竹のことで、これを地面に刺したものが根付いたので神璽(神のみしるし)として辺津宮に迎えたのが「御長手神事」ということになろうか。

筆者が言うような「白の布を螺旋状に巻いた」ものを「神を先導する器」としたのではなかった。

が、白のイメージが付随していることは間違いないようだ。

「みあれ祭」のこと

中世の「御長手神事」を参考に昭和37年に整えられたのが、宗像大社秋季大祭行事の一つ海上神幸「みあれ祭」である。

中津宮がある筑前大島から輦台を載せた御座船が出航し、周りを漁船が伴走する光景が有名だ。

この時の御座船の飾りは、舳先に「国家鎮護宗像大社」と書いた大幟を立て、船尾に「御長手」(紅白10尺の布をつけた竹)をつけるのが決まりだそうだ。(他に波切大幣・大漁旗・御座船の旗もつける。)

昭和に生まれた祭事にも「御長手」と白の布がある。

「なかて」には「白」がつきもののようだ。

このことを筆者は「伝統が守られている」と表現したのだろうか。

まとめ

筆者は「〝なかて〟とは竿に紅白の二条の布を螺旋状に巻いて、神を先導する器」であり、「今も宗像沖ノ島にこの伝統が守られている。」と言う。

しかし、どうも実際とは様子が違うというのが正直な感想だ。

だが「長手」という言葉と「白の布」という共通点があるので、全く見当違いと言うわけでもなさそうだ。

白の布」を神のしるしとすることが筆者が言う〝守られている伝統〟に当てはまるのかもしれない。

というわけでなんだかスッキリしない結論になった。

そもそもなぜ白なのかという問いがある。これはまた項を改めて紹介したい。

祝賀の祭典で用いられる白の螺旋

さて、〝なかて〟に関するもう一つの事について。

「祝賀の祭典の会場では天幕を支える柱にこの様式(白の螺旋)が採用されていた」とある。

これは実例がいくつもあり、私たちは柱だけではなくいろいろな場面で白の螺旋に出会う。

運動会の入退場門、山車の轅、奉納相撲の土俵の柱、盆踊りの櫓。

また、踊りで使う綾棒・神楽の採り物など、手に持つタイプもいろいろある。

綾棒
綾棒 より引用

用いられるケースを考えると、神聖な場であったりおめでたい場面だったりする。

例えば次の画像は隠岐の古典相撲の場面だが、柱の螺旋を目当てに神が降りてくるのだとしたら、改めて神聖な気持ちになる。

隠岐古典相撲の様子
隠岐古典相撲
隠岐の島旅より引用

神を先導する器だというのも頷ける。

白の螺旋にこういう意味があるとしたら興味深いことだと思った。