「軒轅」を古人は「なかてのほし」といった

 軒轅は早春の星である。これを古人は仲女星(なかてのほし)中條星(なかてのほし)といった。〝なかて〟とは、長門(なかと)(仲渡)とも書く。時間空間の無明未妙の状を形容した古語である。〝とりつぎ〟或は〝ひきあひ〟など媒酌人的存在であった。宮中では三太夫(さんだゆう)という。能の舞台で三番(さんば)(そう)がこの趣旨を生かした例である。
 時あたかも冬至から春分、或は立春から立夏までの夜空に輝く黄金の星であって、一年の終わりと始めの季節である。

(『儺の國の星拾遺』p. 129)

ここは解釈に悩んだところだ。

前記事で「獅子座を軒轅(けんえん)といった。」と紹介したが、その「軒轅」を「仲女星(なかてのほし)中條星(なかてのほし)」と言ったとある。

素直に読めば「獅子座」=「軒轅」=「仲女星(なかてのほし)中條星(なかてのほし)」となるが、実際の星はそうならないのだ。

まず、獅子座と軒轅を星図で見てみよう。

中轅星と獅子座と軒轅の関係図

中国の星座「軒轅」は西洋の星座「獅子座・小獅子座・山猫座」にまたがっており、「獅子座」には「太歳右垣と軒轅の一部」がある。

「獅子座を軒轅(けんえん)といった。」と言い切ってしまうには無理がある。

更に言うと、「仲女星(なかてのほし)中條星(なかてのほし)」とは単独の星の名のように思え、複数の星の集まりである獅子座や軒轅とはイコールにならない。

たとえ「なかてのほし」が複数の星の名だとしても、いったいどの部分なのかこれだけではわからない。


ということで行き詰まってしまった。


そこでひとまず作者の言に従って、「獅子座」と「軒轅」だけの星図を描いてみた。

「なかえぼし」とは?

ひょっとすると筆者はこういう図をイメージさせたかったのではないか?とも思える。

理解としてはシンプルにこれでいいのかもしれない。

「獅子座」と「軒轅」に共通するのは「獅子の大鎌」のあたりである。

「なかてのほし」の候補とするならこの部分ではないかと思うが、よくわからない。

獅子の大鎌

私の知識ではこれ以上進めないので今回はここまで。

今後新たなことがわかれば訂正したい。



さて、「なかてのほし」は「冬至から春分、或は立春から立夏までの夜空に輝く黄金の星」であり、この星が見える頃は「一年の終わりと始めの季節」だという。

背景に春を一年の始まりとする考え方があるようだ。

春を一年の始まりとするカレンダーというと、古代ローマのローマ暦がある。(国立天文台暦wikiロムルス暦

最初期のローマ暦(ロムルス暦)は、一年をMartius(現在の暦で言う三月)から始まる十か月 (304日=8日/週×38週)とし、残りは数えないという変則的な暦だった。

一年(約365.242日)のうち約61日の空白(日付がない)期間があったことになる。

その空白期間が「時間空間の無明未妙の状」だったのであり、前年と次年の間にあって仲立ちする期間であるから「なかて」と言う名称につながるのではないかと思った。