Oops! It appears that you have disabled your Javascript. In order for you to see this page as it is meant to appear, we ask that you please re-enable your Javascript!

“さるた”とは赤米(陸稲の一品種)のこと

那珂川町日吉神社
那珂川町日吉神社が見ている山

前記事で紹介したように、「猿田」は「水漲田(水を張った田)」のことで、猿田に植えるのが早稲(さなえ、早稲は発芽を水温によって早めた陸稲のことでした。

もう一つ、「サルタ」に関する話を紹介します。

 “さるた”とは今も対馬と種子島に(わずかに保存されている陸稲(おかぼの一品種なる赤米のことであります。春に浅瀬の多い川を止めて湖を作り、これに苗を植え夏の日照時に水を引いて秋の収穫まで干し上げる古式栽培のことでもありました。
(福岡県那珂川町日吉神社由緒記より)

「水漲田(水を張った田)」を略した「猿田」で栽培する米そのものを、「猿田」と言ったのですね。
また、「水漲田」で栽培するやり方全体を「猿田」とも言ったようです。

水を漲らない土地で栽培するのが普通だった時代、水耕技術を持たない人たちからすると猿田(水漲田or水漲田栽培米)は特別だったかもしれません。

水田の呼称「サルタ」が、栽培される品種そのものの名称になるまでには、一定の時間経過があったと思います。
どれくらいのスピードだったのかわかりませんが、何年もかかっているでしょう。
日本列島は南北に長いので、気候や日照時間、土質や水質などその土地その土地の「サルタ」があったかもしれません。
もしかすると各地の「サルタ」伝承はタイムラグを含んでおり、同じ話だと思っていると間違えてしまうかもしれない、なんて思いました。

伝播経路を考えれば、やはり九州から北上していったと思われます。
東北や北海道から南下したとは考えにくいです。
(『儺の國の星・拾遺』にも、開拓は筑紫から始まって陸奥で終わったと書かれていました。開拓が水田の事だとすれば、ですが。)

また稲の古式栽培について、日吉神社境内のような土地で行われていた話と、大きな貯水塘を伴って行われた話とが書かれています。

耕作の形は変化していったのですね。
大規模な土木技術を持つ人たちと合流したり、発酵と出会ったり。「サルタ」という言葉には様々な要素が含まれているのだと思いました。
だから、筑紫や大和、武蔵や陸奥といった、その土地土地の様相があるのだと思います。

そうそう。
熊本に“塘”と書いて「トモ」と読む地名があるのですが、水漲田とセットの貯水塘があるのではないかなぁ、とこちらも気になっています。

0