荊楚の民族は月の元 を下弦に定めていた
久留米市田主丸町
ずっと気になっていたところ、このような記述を見つけたのでメモ。
月齢23~25の頃を月初めとしたというのだ。
春秋戦国時代(前770~前221)の楚国に位置した地方を荊楚と言っており、現在の湖北省あたりになる。
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この地方の名を冠した『荊楚歳時記』が奈良時代初期にもたらされ、年中行事に多大な影響を与えている。(荊楚とあるが実際には中国全土の風俗の集大成を記録したもの。)
二十三夜には月待ち信仰もあるが、荊楚の風習が残っているのだとしたら面白いと思った。