柞星
「田付星」Alkesには春の植物の名前もついている。
田付星は又蘩蔞星、柞星そして、特に那珂川で茅花星、茅蔞星、
石蒜星 と言う。〝づべら〟とは彼岸花の葉の方である。葉ありて花の咲けるを知らず、花燃ゆるとも葉の緑なるを知らず、故郷に祖先の墳墓の何處 にあるかを知らぬ蒼氓 の心であった。(『儺の國の星拾遺』p.50)
文字だけではピンとこないが、
蘩蔞
茅花・茅蔞?
石蒜(彼岸花の葉)
彼岸花は秋の彼岸頃に赤い花だけが咲き、花が終わると葉が伸びて来て翌年の春枯れる。
それが「故郷に祖先の墳墓の何處いづこかにあるかを知らぬ蒼氓の心」を表しているとのこと。
この地には渡来系の人たちがいたことになる。
最後に柞
「
昔は夏至の日に老いも若きも相睦び相和す祭りがあった。これを周の世は
祚 とよび、秦の世には 臘とした。八百萬神 の相集う月であったが、後には祖先の霊魂をこの日に一括して祀ることになったのは漢(前二〇二~後八)の世に入ってからと聞く。祖先の命日が如何なる孝の厚き子孫と雖も、相重なり相継ぎ、もって祭りあはすことが出来なくなったからである。それほど極東の民族は祖先の行蹟をよく心に銘じていたのである。この日祭壇に立てる木を柞 とし、祖先は〝ははそ〟と訓じた。那珂川に自生する楊梅 もまた〝ははそ〟の一つであり、古墳の上に植える式例があった。今の神事の〝さかき〟は後世の代用である。(『儺の國の星拾遺』p.29太字はnakagawa)
夏至の祝祭に立てる木が
そして那珂川に自生する楊梅もまた
楊梅といえば、那珂川市の木だ。
那珂川市市ノ瀬日吉神社の境内には、市の木の由来となった楊梅の古木がある。
Alkesを柞星と名付けたのは、石蒜星と同じように故郷や先祖を偲ぶ心だったのだろうか。
さほど明るくないAlkesが望郷の星になる不思議。
まだまだわからないことだらけだ。