「杉田玄白」の名は彗星から

解体新書を著した杉田玄白(一七三三~一八一七)の名は(よく(*ママ))であった。(**)とは(こふのとり)が羽を広げた形であるが(中略)北辰妙見が生命の始元という信仰が現れる以前は、すべて翼が万民の事始めになっていた。解体新書は安永三(一七七四)に完成し、蘭学事始は文化十二(一八一五)年の擱筆である。四月を特に選びしは、古今彗星の翼に出づる例、卯月に多きに寄せたところである。

*  翼=〝たすく〟と訓まれることも。
** 翼=二十八宿の一つ翼宿のこと。

(『儺の国の星拾遺』p. 49

彗星の話が続いている中、なぜか杉田玄白が登場する。

Ishikawa Tairō (石川大浪) – Waseda.ac.jp https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko08/bunko08_a0252/bunko08_a0252.pdf, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1225931による

江戸時代の蘭学医、杉田玄白。

(いみな)は翼、(あざな)は子鳳、号は鷧斎。

筆者によれば、それぞれが彗星や天文学に関する言葉だということになる。

以下、箇条書きで。

  • 玄白=黒い夜空に白い尾を引く彗星の色彩。
  • 翼=二十八宿の一つで彗星がしばしば現れる場所。
    (「翼は宇宙の彼方から飛来する彗星の門であった。」『儺の國の星拾遺』p.50)
  • 子鳳=鳳凰の子、あるいは麟子鳳雛(麒麟の子と鳳凰の雛)からの名付け。
    彗星を想起させる語。
    (「胡人は彗星を鳳凰にたとえた。」『儺の國の星拾遺』p.51)
  • 鷧斎=〝鷧〟はウ科の鳥。彗星の尾がかかる山に遊ぶ鳥の縁語と見ることができる。
    (「昔は彗星の尾がかかる山を観と定めて、ここに天神地祇を祭った。やがて観に遊ぶ白鳥を鶴と名付けて倭人は〝こふのとり〟と訓じた。」『儺の國の星拾遺』p.51)

また彼は晩年に「九幸翁」とも名乗っており、〝九〟も天体にちなむ名付けと見ることができる。
(「全天は水平線から天頂までが九尺となり、これが唐代(六一八~九七五)の詩文に出る九重天の由来となる。」『儺の國の星拾遺』p.70)
(「祖先は宇宙空間を九間(くま)と書いていた。『儺の國の星拾遺』p.173)
(「九は月の対恒星公轉周期八、八五〇五三年から発祥した数」『那珂川の歳時月例』p.51)

『儺の國の星拾遺』には、杉田玄白以外にも天体に関連する名を持つ人物が何人か登場する。

江戸時代の人は星の伝承を意外によく保存していたのかもしれない。


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