荊楚の民族は月の(はじめ)を下弦に定めていた

久留米市田主丸町二田(ふたた)月読神社の神紋は月に三つ星紋だが、月の向きに意味があるとすれば下弦の月になる。

二田月読神社

ずっと気になっていたところ、このような記述を見つけたのでメモ。

『儺の國の星拾遺』p.204より

 月齢23~25の頃を月初めとしたというのだ。

春秋戦国時代(前770~前221)の楚国に位置した地方を荊楚と言っており、現在の湖北省あたりになる。

湖北省の位置
Joowwww – self-made; based on CIA public domain maps:
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http://www.lib.utexas.edu/maps/middle_east_and_asia/china_indiaw_border_88.jpg, パブリック・ドメイン, リンクによる

この地方の名を冠した『荊楚歳時記』が奈良時代初期にもたらされ、年中行事に多大な影響を与えている。(荊楚とあるが実際には中国全土の風俗の集大成を記録したもの。)

二十三夜には月待ち信仰もあるが、荊楚の風習が残っているのだとしたら面白いと思った。

『儺の國の星拾遺』

Posted by nakagawa