〝太歳〟とは天皇の一世一代の間の暦制を奠 める儀式
太歳とは天皇の一世一代の間の暦制を
奠 める儀式でありまして、即位の大典の前後におこなわれます。太陽暦の四季の初日たる立春立夏立秋立冬および四季の中なる春分夏至秋分冬至と太陽 暦の朔望が一致する日を選びました。(『儺の國の星』p.84)天皇一代の暦法を選定する儀式を太歳と言う。神武帝(前七〇七~五八二、在位前六六〇~五八五)ならば即位前七(前六六七)年甲寅であり、持統帝(六四五~七〇二、在位六八七~六九七)ならば即位元(六八七)年丁亥が太歳である。
(『儺の國の星拾遺』p.21)*私注
太陽暦=「太陰暦」の誤り
『日本書紀』では歴代の天皇の即位元年の記事の終わりに「是年也、太歳〇〇」の形で干支を記す。例えば「日本書紀卷四皇太后。是年也太歲癸丑。」のように。(若干の異例あり。)
『古事記』には登場しない「太歳」は、一般的には太歳紀年法を言うが、筆者によれば天皇一代の暦法を選定する儀式のことで、これが改元の発祥だそう。
暦法を選定というのは、地球の自転公転周期や月の朔望周期に端数があり、そのズレが段々大きくなるのをどこかで調整するということ。
現在4年に一度2月29日を設け地球の公転周期と調整していることに類する、と言えばわかりやすいだろうか。(実際は改元や遷都のような大掛かりなものも。)
太歳を行うにあたっては、至日分日立日が朔望と正しく一致する年を選んだそうだ。
つまり、夏至冬至・春分秋分・立春立夏立秋立冬と満月・新月が重なる日で、一年を365日として合計16通り候補の日があったことになる。(プラス新月or満月が条件なので、実際はもっと少ない。)
ただ、満月の時は月食が、新月の時は日食が起こる可能性がある。
よって精密な観測で予想してその日を避けたとのこと。
月読みとは月食日食の予想でもあったのだ。
(メトン周期もサロス周期も知っていて、月読を連綿と行っていた人たちの存在を最近知り胸が熱くなった。)






