紅白は北欧の二神? 紅はフライヤ白はユール

〝なかて〟とは竿に紅白の二条の布を螺旋状に巻いて、神を先導する器である。今も宗像沖島(おきのしま)にこの伝統が守られている。五十年程前は祝賀の祭典の会場では天幕を支える柱にこの様式が採用されていた。香椎宮司木下祝夫博士(一八九四~一九八〇)によれば、北欧の神話に出る二神で紅はFraiya(フライヤ)であり、白はJuhl(ユール)であり、紅が来る年、白は去る年である。

(『儺の國の星拾遺』p.129)

竿に紅白の布を螺旋状に巻いた、神を先導する器である「なかて」。(画像はあくまでもイメージ。)

By Richard2s at English Wikipedia, CC BY 2.5, Linkより

香椎宮司木下祝夫博士によると、色彩の白は北欧のフライヤとユールを表しているそうだ。

フライヤとは愛と美と豊穣の女神、ここでは春の象徴として用いられている。

ユールは北欧に伝わる古い冬至祭、同じく冬の象徴として用いられている。(特定の固有神ではない)


なぜこの二つなのかというと、古代北欧人の一年は冬と夏の二期のみだったからだ。(『神々のとどろき』 ドロシー・ハスフォード/ 山室静より)
(ちんみに新年の始まりは春分の日とのこと。)

緯度が高い地域の季節はおおよそ二分される。

似たような話は北海道にもある。

アイヌの人々にとっては、春は冬の終わりか夏のはじめであり、秋は夏の終わりか冬のはじめであり、冬と夏が交互にやってきて一年がすぎる。

(『聞き書 アイヌの食事』萩中美枝、他/農山漁村文化協会 )

アイヌにとっての季節は
冬と夏だけが交互に来る
」と「」は
その隙間に
ちょっと
くっついてるもの

冬は
山へ狩りに行く
男の季節」で
氷が溶けて
水になると
マッネパという
女の季節」が来る

(『ゴールデンカムイ』8巻/野田サトル/集英社)

白の螺旋は二つの季節を交互に繰り返す様子を表しているのかもしれない。

仲女星(なかてのほし)中條星(なかてのほし)が「時あたかも冬至から春分、或は立春から立夏までの夜空に輝く黄金の星」であって、「一年の終わりと始めの季節である」ことから、二つの季節を渡し合う北欧の話へ発想が飛んだのだろう。(『儺の國の星拾遺』p. 129)

祭祀における白の色彩が北欧由来だとすれば、いつかどこかでもたらされたということになるが、中原にも他の文化にも紅白の取り合わせはあるので、理解の一つとして受け取っておくべきかもしれない。

参考にした本はこちら。
・『神々のとどろき』 ドロシー・ハスフォード/ 山室静
・『北欧神話と伝説 』ヴィルヘルム・グレンベック/ 山室 静
・『エッダ―古代北欧歌謡集』谷口 幸男



〝なかて〟の話題から外れるが、このユールとフライヤの話は度々(たびたび)登場するので以下自分用のメモとして記録しておく。

冬至の神を北欧の民族はJolヨールと呼ぶ。(中略)歌劇Tanhauser(タンホイザー)の中の夕星の歌は冬至の夜、日没とともに地平線にあがるシリウスであるが、この日から希望の春の気配がひやゝかながらもたしに息づくのを感じていたのである。不思議にヨールの語韻は夜或は宵、或はシリウスの別名なる夜渡星よどのほし由良星ゆらぼしの名に対応する。冬至の夜が明けると春の女神Frayer(フライヤ)の世代となる。これも春の語韻を奏でている。この日から米一粒ずつの()(なが)となる。これを倭人は春分の神なる春日大明神に約したらしい。

(『儺の國の星』p.53 )

夕星(ゆうづつ)の歌がシリウスとは。

新たな解釈が生まれそう。


ユールの語韻は漢字「夜」「宵」の訓「よる」「よい」に対応するとある。

調べてみたら、「夜」を「よる」と読む例は『名義抄』以降のようで古語は「よ」だった。

「夜(よ)」の上代特殊仮名遣における発音は甲類。

「宵(よひ)」は萬葉集に登場し、発音は「よ」が乙類「ひ」が甲類。

これは現代の発音で考えてはいけない例と言えそう。


シリウスの別名夜渡星よどのほし由良星ゆらぼしの名に対応するというのはあり得るかもしれない。

冬の夜空に輝く北天第一の輝星だからだ。

ただシリウスはエジプトでは洪水を知らせる夏の星として知られている。

このあたりは冬の星として見るか夏の星として見るかで違いが出るのが面白い。

北欧のノルマン民族はユールとフライヤの二神が去る年と来る年を渡しあう饗宴とされていた。ユールは夜であり、フライヤは冬であったと説く学者もあれば、又ユールは冬でありフライヤは春である説く学者もあり、二千年も昔の神話の解釈は西洋の本家本元でも、いろいろとわかれている。
(中略)
 今から五万一千五百年前にはじまり、一万二千三百年前に終ったところの第四期氷河期の間は、一年の季節は冬と春だけであった。夏と秋はなかった。現在の北極圏に近い地域の一年と同じである。遠い祖先は冬をもってJul(ユール)の神なる大山祇命(おおやまつみのみこと)なる氷河の高嶺をあて、春はFraiya(フライヤ)なる木花佐久夜毘賣(このはなさくやひめ)万朶(ばんだ)の花瓣をあてた。

(『儺の國の星拾遺』p.42~p.43)

フライヤを冬とする説もあるとのこと。

日本ではユールは大山祇神、フライヤは木花開耶媛に擬えているそうだ。

一年を二分する季節の象徴たる二神。それが日本にもあるとしたら、案外氷河期の記憶なのかもしれないと思う。

長く厳しいこの寒冷期の間、ヨーロッパ中の人類は退避地と呼ばれる、寒さから守られた谷や局所的に温暖な地域に移り住み、拡大する氷河をやり過ごした。このとき人類史上初めて、大勢の人が頻繁な接触を持つようになった。(中略)この頃の退避地は、世界初のシンクタンクだったといえるかもしれない。

(『最古の文字なのか?』p.91/ジェネビーブ・ボン・ペッツィンガー)

ヨーロッパ全体368箇所の洞窟に残された記号を調べたところ、わずか32個に収斂されたと言う研究がある。

拡大する氷河をやり過ごしたとき、人類史上初めて大勢の人が頻繁な接触を持つようになったというのだ。

この時接触した人たちが、氷河期の終わりと共に世界中に散らばったとしたら、思いがけないところで共通性があるのも頷ける。

*/ 最後の方は自分の趣味に走ってしまったが、氷河期だけでなく絶えず交わっているのが人類ではないかと思う。