WordPressでFeedが更新されなくなった時に試したこと

自分用のメモです。

急にfeedを吐かなくなったので検索すると、出力用バッファの内容を一旦消去すると良いとと言う意見がありました。

なるほどと思い、wp-includesフォルダ内にあるfeed-rss2.phpにob_end_cleanと言う記述を入れてみました。

WordPressのバージョンは5.3。

feed関連ファイルはこれだけありますが、全部やらなくてもいいかなとrss2だけ書き換え。
   ↓

場所は開始タグ(<?php)の直後です。
これで直りました。

以上

住吉神社中津宮(福岡市)

福岡市南区にある曰佐おさ住吉神社。
用事があって通りかかったので、久しぶりに立ち寄ってみました。
かつて香椎古宮で仲哀天皇を祀っていた社殿です。

「曰佐住吉神社御由来考」によれば、宣化天皇時代の536年前後に住吉三社が置かれた際、中津宮として祭られたものとのこと。

「曰佐住吉神社御由来考」によれば筑紫国、那の津口に官家みやけ(博多区比恵)が造営されてより、此の地方は中国大陸や、朝鮮半島との外船の往来するところとなり、曰佐はその応接の要地であったため、その航海の安全や鎮守の神として筑前那珂郡に住吉三社が居かれ、(上社は那珂川町の現人神社・下社は博多区の住吉神社)当社は、その中津瀬の神として祭られたもので、その起源は宣化天皇の御宇(五三六年)の前後であると記されている。

現地説明板「曰佐住吉神社の由来」より抜粋

536年というのは『日本書紀』の「那津に各地から集めた食料を保管する官家を造らせた」という記事を受けての年号ですね。

四王寺に降臨したという住吉神(『高良玉垂宮神秘書』)は単独神の印象ですが、536年前後には海の守り神と「三」という数が既に対応していた感じを受けます。

宗像の三女神、綿津見三神、そして住吉三神。
神功皇后時代から宣化天皇そして持統天皇の時代にかけて、海上の守護神を「三」神とする流れに興味があるので、この神社の由緒考には惹かれるものがあります。

また、ここは古代から人が住んでいたようで、付近からは先土器時代の遺物や縄文土器、中世の貿易品などが出土しています。
現在は新幹線と都市高速が交差していて、やはり交通の要所と言えるのかもしれません。

境内の様子。

社殿を背にすると参道がまっすぐ那珂川に延びています。
鳥居の直前に小川があり、太鼓橋を渡って参拝するようになっています。

正面から見た社殿。

再建100年の看板がありました。

大正4年に香椎宮古宮から払い下げられたとのことです。
ということは、かつてここに仲哀天皇が祀られていたということ。

香椎古宮の仲哀天皇は香椎宮に合祀されていますが、もともとここでも香椎大神(『筑前國續風土記拾遺』)を祀っていました。

社殿内の社額にはこう書かれています。


(若大明神って誰だろう?)

絵馬道から見た社殿。

樟。

都市高速が出来てさらに周囲の様子が変わりましたが、この樟が時間を巻き戻してくれます。

さりげなくある境内の板碑は、大変貴重な物だそうです。

熊野川・長距離路線バス・十津川村

* 青岸渡寺 の記事に拍手メッセージありがとうございました。

Grazie per essere venuto sul mio sito.

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さて、南紀ドライブ備忘録の続きです。

新宮からは、日本一長い距離を走る路線バスのルートを辿りました。

熊野川沿いに遡上して行くのですが、両側は切り立った崖になっていて次々に滝が現れます。これは感動でした。

そして川の色は緑青色でした。
(一説に鉱物資源があるところはこのような色になるのだとか。球磨川もそうです。)

地元の方が言うには、緑青色なのは雨が降った後で濁っているからなのだそう。
晴れた日はきれいなブルーに見えるとのことでした。

車窓からなのでブレていますが、それらしい色のところを撮ってみました。
熊野川ブルー、いいですね。

志古バス停です。

奈良交通のバス停をはじめ、他社のバス停もありました。
いろいろなルートが交差している場所のようです。

ここには船の発着所も有り、熊野川遊覧を楽しむことも出来ます。

平安時代の貴族などは本宮・速玉大社の行き来に川舟を利用したそうです。

昔からの交通の要所なのですね。

両側に滝や奇岩を見ながらの舟下り、機会があればやってみたい。
(次の機会はあるのだろうか・・・。)

十津川村に入り、吊橋を発見。
すごいところです。
ご苦労が偲ばれます。

十津川村は、地図を見ても風景を見ても、気になるものばかり。

例えば玉置山。

車窓からちらっと見えた山頂が気になって地図で山名を確かめたのですが、山頂の少し下に同名の神社がありました。
検索すると熊野三山の奥の宮と言われているところでした。
(知ってたら他を削ってでも行ったかも。)

何より、その神社の位置がすごいのです。

シームレス地質図で見ると、火成岩の貫入層と堆積岩の境目ぐらいに建っています。
そういう場所だと知っていたかのようです。
しかも参道には枕状溶岩の露頭も見られるとか。

海底で形成される枕状溶岩がこんな山の上にあるなんて。
地殻変動のすごさを実感します。

玉置神社の公式サイトは→こちら

十津川村には何れ劣らぬ由緒と祭禮を持つ神社がたくさんありますが、ふと目に止まったのは小名牟遅神社でした。

〝大名牟遅〟に対して〝小名牟遅〟という認識を持つ人達がいたのでしょうか。
あまり聞かない名称です。

十津川村は、熊野修験道に上書きされる前の古い信仰が残っている場所だと感じました。