宮島散歩(廿日市市)

*前記事で、宮島の三女神に関する地御前神社の伝承と書いていたのは大竹市の伝承の誤りです。
記事は訂正しましたがこちらでもお知らせしておきます。

宮島と言えば厳島神社ですが、個人的には厳島合戦も重要ポイントなので、まずは要害山へ登りました。

西曲輪あたり。

反対方向。見えている建物は今伊勢神社。
下った先にも城の遺構が広がっています。

きれいな猫さんがいました。

今伊勢神社の参道を降りていきます。

階段が結構ある。ここから下にもまだある。

要害山は毛利方の陣で、対する陶晴賢は千畳敷付近に陣を置いています。

今は五重塔がある場所から近いところにこんな説明板を見つけました。(こんなのあったかなぁ。しばらく来てなかったからなぁ。)

名所 金鳥居かなとりいの辻
こことうおかの下を云ふ。幸町さいわいまち附近を総称せる地名ともなれり。
長寛年中(1163~1165)建立と云ふ、かね鳥居一基高さ五丈(約15m)
鉄にてまわり八尺(約2.4m)余、神前より三町(約327m)余
御王前ごおうまえと云ふ所にあり、則ちかね鳥居の町とも云ふなり。
往昔辻君つじぎみの住み居たるところ、明治初(1868)年までは柱のみ幾分かのこれり。
また一説に足利尊氏の建つる所にして、未だこうえずして
去りぬと伝えらる。いずれか其のあかしを得ず。
鉄鳥居に参れば護王御社ごおうおんしゃ幸神社さいのかみ)左の方にあり
此の下の町を護(午)王のまへ町とも云ふ。
猿田彦大神さるたひこのおおかみまつ奉りて道祖神どうそしんとも申すなり。

(以下略)

初めて聞く話でなんか面白かった。
猿田彦が祀られていた地区なんですね。
(そういえば三翁神社にも猿田彦が祀られてました。明治まで山王神社と言われていたそうです。猿田彦と何か関係があるのでしょうか。)

宮島に多大な貢献をしたという僧誓真が掘った井戸、誓真釣井。
こちらはつるべ式で残っていました。

以前から気になっていた城郭のような石垣。
鏡石が配置されています。おしゃれ。

今回記事を書くために調べていたら、吉川広家が普請したかもしれないと言う話がありました。
なるほど。

いつ来ても新たな発見があって見所がたくさんありますね。

宇品散歩(広島市)

『儺國の星拾遺』に厳島神社の三女神は宇品から遷されたという話がありまして、本当かなーと思いつつ訪れた時の記録です。

まずは宇品港を整備した千田貞暁に敬意を表し、千田廟公園へ。

立派な宇品新開地紀念碑がありました。

千田廟。

正岡子規が宇品から船に乗って従軍した時の句碑もありました。

「行かばわれ筆の花散る処まで」

宇品は出征していく場所でもあったのですね。

広島市郷土資料館も宇品にあります。変わった建物だなと思ったら、陸軍の糧秣支廠(兵士の食糧や軍馬の飼料を製造・保管・補給するための施設)だったそうです。

ちょうど宇品港の展示をやっていました。
ブラタモリ広島編の復習になりました。

さて、いよいよ目的の宇品島へ。

もし伝承が本当なら、古宮跡か類するものがあるのではないかと思い地図を見ると、島に神社は一つだけでした。

それがこちら。

住吉神社です。

江戸時代に勧請されたそうです。

時代は新しくても元々そういう土地だった可能性はありますから、そこは気にならないのですが、うーん、何か違う。

雰囲気も、場所的にも。

で、もし元宮か何かがあるとしたらこの上じゃないかなぁ・・・と崖を見る。。

はい。

上まで行ってみました。

すごい。いいながめ。
おそらくここは、昔から利用された場所でしょう。
海からは目印として。陸からは見張りなどとして。

下から見えていた建物は観音寺というお寺でした。
花がきれいだったのと、「平和の鐘」と書かれた小さな梵鐘がつるされていたことと、境内社として三宝大幸神があったことが印象に残っています。

今回ブログを書くために調べてびっくり。
ここは毛利氏福島氏浅野氏といった、歴代藩主に信仰されたお寺だったのです。
きれいだと思った花は広島椿といい、浅野長晟が紀州から入封する際、妻の振姫が育てた椿を持って来てこの地に植えたものとのこと。
平和の鐘も、毎年8月6日に行われる平和記念式典で実際に鳴らされたものでした。

思っていたのと違うなーと、さっさと降りてしまったのがつくづく残念。

そうそう。
『儺國の星拾遺』の話ですが、大竹市の伝承と併せても宇品から三女神を遷したというのはなさそうです。
なぜそんな話が伝わっているのか(そんな話にしたのか)、そこを掘ったら面白そうですけれど。

大歳神社・地御前神社(廿日市市)

PCを再セットアップした時に行方不明になっていた画像を発見。

廿日市市地御前の大歳神社です。

『儺の國の星拾遺』に書かれていた内容を確かめるため地御前神社を訪れた時、なぜか心惹かれて立ち寄りました。

後で調べると、地御前神社鎮座以前に地区一帯に祀られていたとのことで、この土地の古い神様でした。
それで惹かれたのかな?

祭神は大國魂神。
以下、広島県神社庁のウェブサイトより引用します。

明治15年佐伯郡地誌編集控によると、寛政元年(1789)9月25日の勧請とされており、現在地への鎮座のことと考えられる。
 それまでは、地御前村神賀の平原(現在、この地名は使われていない)に鎮座され、『芸藩通志』には、嚴島外宮(地御前神社)鎮座以前に地御前村(現在の廿日市市地御前、地御前北、阿品、阿品台)一村この社を同じく祀るという里人の伝承を載せる。

知っていればもう少しゆっくり見るんだった。

さて、この日の目的だった地御前神社です。

ここは海から参拝する神社なんですね。鳥居が海に向かって立っています。

海から見た神額は厳島外宮社。

反対に神社側から見ると地御前神社。

神社の由緒。

6月15日の御洲堀神事って何だろうと思ったら、管弦祭の船が通るところを浚渫するんですね。
陰暦15日は大潮で掻い掘りに都合がいいし、管弦祭の17日は月待ちの風情もあってこれもまた一興。
よくできてるなぁ。

敷地がJRやら道路やらでキツキツなので本殿がうまく撮れませんでしが、朱の柱がきれいでした。

ちょっと気になったこの社。

御客人宮だそうです。
御祭神は天穂日命、活津彦根命、正哉吾勝勝速日天忍穂耳命、天津彦根命、熊野櫲樟日命。

立ち位置をバミっているような敷石がありました。

道路に架かっていた橋。こちらも気になりました。

有府川と書いてありましたが、川と言うより池か入り江のような水面。
写真取り忘れたのでマップで代用します。
地御前神社の南にある水色部分です。

地図で見ると、海から直接来られたようですね。
今は線路や道路があるので、その下をくぐれる船でないと難しそうですが。

宮島があまりにも有名なので陰になっている感じですが、私は対岸の方が興味をそそられました。

例えばこれもそう。

大野付近の山かな。
磐座?と思うほどの巨石が路頭していました。

あそこに行きたい。

早く自由に出かけられるようになるといいなぁ。

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