黒男天神(大野城市)と 九郎天神(春日市)と
大野城市の黒男(九郎)神社。
境内の案内板によれば、祭神は息長帯日売命(神功皇后)と武内宿穪。
ただし創建の時期は不詳であり、祭神にも種々の説があるそうだ。
神紋は丸に三つ柏。
神功皇后・武内宿禰と三つ柏紋の組み合わせが不思議だった。
奉斎者の紋かもしれないが、ひょっとすると境内社のものかもしれないと見てみると、阿波嶋大明神と塞大神がいらっしゃる。
阿波嶋大明神とは少彦名命だろうか。
三つ蔓柏なら事代主を祀る神社でよく使われる紋だが、関係あるような無いような・・・。
結局境内社からは三つ柏紋の理由はわからなかった。
なお余談になるが、大野城市に阿波嶋様はこの一基だけだそうだ。
ところで古い神額が境内にあったのだが、それには「黒男天神」と書かれていた。
ここは以前「黒男天神」という名だったようだ。
それで、春日にも「くろうてんじん」があったのを思い出した。
春日市春日神社を背にし、参道の延長線を進むと御潮井橋に出るが、その橋のたもとに鎮座している。
祭神は黒男大明神。
江戸時代にはその存在が知られていた大樟と、〝もみすり石〟と呼ばれる石がある。
春日の婿押し祭では、この橋のたもとで 御汐井取りが行われる。
牛頸川はここでは祓川であり、大事なみそぎの場なのだ。
ふと、ここと大野城市の黒男神社は川で繋がっていたのではないかと言う考えが浮かんだ。
早速地図を見てみると、黒男神社がある場所にうっすら段丘ラインが見て取れる。
シミュレーションで海面を18m上げてみると、海岸際の絶妙な場所にあることがわかる。
今よりも海が湾入していた時代は博多湾からここまで船で来ることが出来たようだ。
浸水ハザードマップでも、浸水域ギリギリの所だ。
御笠川がこの近くを流れていた時代もあったのだろう。
海が湾入していた時代も御笠川がそばを流れていた時代も、黒男神社で小舟に乗り換えて、牛頸川で繋がっていた可能性がある。
それを補強する話として、少し上流の金口池公園にある立江地蔵尊が〝フナカド(船門・船可登)の地蔵〟とも言われている事があげられる。
フナカドというのは地名で、当地が船を着ける場所だったことから来ているようだ。
つまり、牛頸川と御笠川を船で往来していた人たちがいて、彼らが二つの〝くろう天神〟を祀ったのではないかという気がするのだ。(という妄想。)