歌川広重 - Current version is uploaded by Racconish, パブリック・ドメイン, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3790813による

Zuhr⑩’ 天智帝が水城を疎水式に船を通す湖にしたとして それは二つあったのではないかという試論

Zuhr⑩で、天智帝が水城を疎水式に船を通す湖にした話を紹介しました。 そして、地形が現在と同じで王城神社が既に現在地にあったとすると、田中熊別の陵あたりまでしか水が無かったことになるという所まで書いていました。 つまり...

空から見た水城 By Copyright © 国土画像情報(カラー空中写真) 国土交通省, Attribution, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=20691889

Zuhr⑩ 天智帝は磐井がひらいた水城なる瀦水畓を疎水式に船を通す湖にした

水城を中津、あるいは中大江(なかのおおえ)と言った話の続きです。(前記事参照。) 現在水城跡として土塁が残っていますが、通説では博多湾側に水がためられていたことになっています。 『儺の國の星・拾遺』によれば、博多湾側では...

Zuhr⑨ 水城を中津 あるいは中大江なかのおおえと言った

海が陸に深く浸入していた時代、玄界灘と有明海は繋がっていました。 そのため北部九州は海峡で隔てられ、西の天原島と東の宇佐島で構成されていたとのことです。(前記事参照) 二つの島は現在の久留米市長門石付近で近接していました...