水城・小水城跡のあかり
水城・小水城跡のライトアップイベントを見に行きました。 こちらは上大利地区にある小水城跡。 子供たちが手作りした灯籠です。 その後下大利地区の水城跡に移動すると、アナウンスされた時間より早く終了していて残念ながら見られま...
水城・小水城跡のライトアップイベントを見に行きました。 こちらは上大利地区にある小水城跡。 子供たちが手作りした灯籠です。 その後下大利地区の水城跡に移動すると、アナウンスされた時間より早く終了していて残念ながら見られま...
小水城として知られている土塁は、上大利・大土居・天神山の他にもあるのだそうです。 次の図の、赤い実線が発見されている部分で、点線が推定されている部分とのこと。 (残念ですが、画像へのアクセスが集中したため盗用防止として解...
この投稿はパスワードで保護されているため抜粋文はありません。
前記事で、水城は土地を有効利用した三毛作のための瀦水畓だったという伝承を紹介しました。 この耕作方法の名残りが現代にあるそうです。 天皇即位の大典に献上する新米を作る所を悠紀田(ゆきでん)及び主基田(すきた)と言う。昔の...
過去の記事で、水城はもともと筑紫国造磐井がひらいた瀦水畓(*)だと書かれていることを紹介しました。 (*「畓」が見えない方へ。という字です。) この瀦水畓(*)は単なる灌漑用水ではありませんでした。 本文をそのまま引用し...
Zuhr⑩で、天智帝が水城を疎水式に船を通す湖にした話を紹介しました。 その時王城神社が四王寺山から現在地に遷されていたなら、水城で堰き止められた水面は田中熊別の陵あたりまでしか無かったことになるという所まで書いていまし...
水城を中津、あるいは中大江(なかのおおえ)と言った話の続きです。(前記事参照。) 現在水城跡として土塁が残っていますが、通説では博多湾側に水がためられていたことになっています。 けれども『儺の國の星・拾遺』によれば、博多...
海が陸に深く浸入していた時代、玄界灘と有明海は繋がっていました。 そのため北部九州は海峡で隔てられ、西の天原島と東の宇佐島で構成されていたとのことです。(前記事参照) 二つの島は現在の久留米市長門石付近で近接していました...