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御陵宝満・御笠の森・松峡に関するメモ

御陵宝満宮と分祀五社を巡ってみて、いろいろ思ったことを書き留めておこうと思います。

内容がバラバラでまとめられないので箇条書きにします。

その1  分祀五社はどうして竈門神社ではなく御陵から勧請したのか

勧請当時すでに九州総鎮守たる地位を確立していた竈門神社があったにもかかわらず、そこから勧請していないことが不思議でした。

例えば同じ時期に創建している、旧筑紫郡の平原宝満宮は宝満宮竈門神社からの勧請です。
これが宝満宮勧請の一般的な姿だと思います。
 ↓

竈門神社からの勧請ではない宝満宮としては、山家宝満宮があります。
「勧請したのではない。神が化現した本津宮だ。」という縁起があり、誇りを持っているように感じました。(「アレとは違うのだよ、アレとは。」的なね。)

ところで井相田宝満宮に関して「むかしハ仲村の御陵宮の産子なりし」ということが書かれています。

距離的に一番遠い井相田が産子なら、乙金・中・山田・筒井も御陵宮の産子だった可能性があります。
だとしたら、御陵宝満宮を奉齋する土地という意識で御陵から勧請したことも考えられますね。

宝満宮竈門神社から勧請していない背景は結局わかりませんでした。

それでも山家宝満宮と御陵寳満神社は、古い由緒を持つものとして別格な気がしています。

その2 神功皇后の笠はなぜ山田に落ちたのか

神功皇后が香椎から松峡に来るときに笠が飛んで落ちたという逸話。
御陵宝満宮が玉依姫の山稜ではないとしたら、わざわざここに来る理由は何だろうと思いました。

もちろん現在も大野城と宇美をつなぐ主要ルートですから、こちらの道を選べば必ず通る場所です。
でも、香椎から陸路なら、御笠の森を通るより只越を経由した方が近いのです。

それと、王城神社の縁起が正しければ、四王寺山周辺は田中熊別の子孫がいてその勢力圏だったはずです。
が、神功皇后の話に全く登場しません。

また、事代主と武甕槌はまだ四王寺山に祀られているはずですが、挨拶しなかったのでしょうか。

この二柱は挨拶してしかるべき神々だと思うのですが、名前も出てきません。
というより、四王寺山を避けているようにも見えます。

一方、高良大社ては神功皇后が四王寺山で祈り神が降臨した話になっています。
どうなっているのでしょう。

うーん。

笠が飛んだのはある種の占だったのか、地元勢力との接触だったのか、この場所にこの話があるのが不思議です。
四王寺山の神とのかかわりも。

その3 二つの松峡

神功皇后が香椎から目指していた松峡ですが、私は宝満山中腹にあった松峡だと思っています。

ここに書かれている場所です。

  松峡まつのを
竈門山の西半よりふもと、有智山の東の上にあり。神功皇后香椎宮より此所に移り給ふ時、飄風つじかぜたちまち起りて、御笠を吹落したる所なり。
 (『筑前国続風土記』底本:明治43年刊行の益軒全集/中村学園貝原益軒アーカイブ)

竈門山の麓九重原より愛岳の上の邊をかけていふ名なるへし

(『筑前國続土記拾遺』)

でも神功皇后の旧跡として有名なのは筑前町の松峡八幡宮です。

私は未訪問なので、訪問された方のレポートを読みました。

縁起に「天徳4年(960)年8月に左大臣藤原重直が社を建立」とあるそうです。

左大臣とは聞き捨てならないので『公卿補任』で確認しました。

すると天徳4年の左大臣は藤原実頼でした。(国立国会図書館デジタルアーカイブ109コマ目)

・・・違ってるんですけど。
藤原重直は天徳4年の左大臣ではないです。
なぜ誰もこれを言わないの。

『公卿補任』の前後を二、三ページ見ましたが、重直という人は見当たりませんでした。
この時代の人ではないのかも。

左大臣藤原重直が誤りだとしたら、神社の由来も揺らぎませんか?
「神功皇后の陣があった場所だから名前はそれにしよう。」と、書紀から松峡を持ってきただけじゃないのか、なんて思いました。

美奈宜神社も二つあるので、松峡が二つあってもおかしくありませんが、この神社の創建事情を疑ってしまいます。
何しろ笠が飛ぶには遠すぎますから。
太宰府の松峡なら、まだ目視できる範囲だと思うのです。
笠も天蓋のようなものだったのではないかと思っています。
それなら大きな浮力が生じて凧みたいに遠くまで飛ぶでしょう。
それでも山田まで届くかどうか。

その6 「宝満」の広がりはどのようにして?

「宝満」の名称は白鳳年間以降に広がったものだと思っているのですが、「宝満宮」「宝満山」を地図で探すと、どうしてこんな所にあるのかしらと思うことがあります。

例えば種子島の宝満宮。

対馬と島根の宝満山。

島根は三笠山も近くにあります。

福岡では三笠山と宝満山は同じ山ですが、島根は別々の山なんですよね。

宝満宮の神事で知りたいことがあり、筑紫の国以外の「宝満」が気になっています。
たどり着けるといいのですが。

おまけ。

平原寳満神社です。
掃除が行き届いていてとてもきれいな神社でした。
御陵宝満から勧請されたと勘違いしての参拝でしたが、行って良かったです。

境内社の弁財天社が立派でした。
手水に盃状穴がありました。

玉依姫は水の神様として人々の暮らしを守っているのですね。
そういえば御陵宝満神社も大きな池のそばに祀られていました。

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