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王城神社縁起

太宰府市王城神社の縁起を読みました。

少なくとも一万字以上ありそうな、結構なボリュームです。
江戸時代に書かれたという新しいものですが、戦国の争乱で記録が焼失したあと一からこれを書くのは大変だっただろうと思いました。

縁起のはじめは事代主の説明になっており、ほぼ日本書紀の内容をなぞっています。
失われた歴史を日本書紀で補ったのでしょうけれど、かえって本当のことがわからなくなったような気がしました。
もしかすると記紀にはない歴史があったのかもしれないのに。(個人の感想です。)

創建の由来が書かれているあたりを、景色として写しました。

面白いです。

王城神社の由来以外のことも書かれています。
糟屋郡辺りを田中の庄といって、荒木武彦と言う豪族がいた話が登場します。

荒木武彦の娘しづ姫は神武天皇の妻となり、蚊田皇子が生まれたとあります。
それで田中の庄を蚊田県と言うようになったそう。筑紫の蚊田です。

「宇美」は神武天皇の皇子が生まれた所だから「ウミ」となったのであって、応神天皇はその後の話だいうのですね。
(そういえば、荒木しづ姫が「五十鈴姫」だと言う説を聞いたことがありました。事代主とのゆかりはありそうですけれど、どうなのでしょう。)

『那珂川の地名考』によると、「けいむり」「あんのたん」「らんちがたん」「つめりさか」と言う地名は大穴遅神おほあなむちのかみ由来なのたそうです。(『那珂川の地名考前編』p.71)

また『儺の國の星拾遺』には、出雲は筑紫では加茂と呼ばれた(ちょっとうろ覚え)と出てきます。「事代主」の由来は星座のカシオペアに関係しているようだとも。

太宰府の真ん中に事代主を祀る神社があるのは、出雲族が筑紫にいたことの傍証になるのかなと思いました。

ただ、三笠の「田中」族は物部氏という説もあり、一体どういうことなのかさっぱりわからないのが現状です。

事代主命鎮座の由来を尋ね奉るに神武天皇日向国より御船に召れ東征したまふ、先、筑紫岡水ヲカノミナト 遠賀郡なりに至り給ふ、田中の庄 糟屋郡なりに、荒木武彦アラキタケヒコといへる人、武勇のホマれ有けれは、天皇彼に武事をゆたね、東夷を平け天下の平治をなさんが為、武彦タケヒコが家に行幸ミユキ有て、軍議を謀らせたまふ、武彦、行幸ミユキを祝びかしづき奉り、田中の庄に行在所アンザイショタテ  天皇ノ仮宮なり、(以下略)

(『太宰府市史』民族資料編p.1158)

 

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