『儺の國の星拾遺』,Alkes

春は水辺の世界にも訪れる。
Alkesにはそこから来た名もある。

夜半に吹き荒る海風が募る頃になると白魚(しらす)即ち、氷魚(ひうを)が川を遡る。百姓はこの星座の名を心得ていたか、すでに近東の空の知識を何時か何人かに口伝へながら教えられていたものか、漁師の持つ魚掬いの ざるや漕ぎ乗る舟の形に見立てていたものか、 板付星いたつけのほしの名があった。水温み舟を入れる季節のはじまりである。磯の石を積み上げたところに春近きを知る魚の群れを感じる名であって、鯔寄星(いなつきのほし)が昔の書き方であったかもしれない。菜著星(なつきのほし)とは、海藻が冬の潮に浚われて浜に打ち上げられる季節である。

(『儺の國の星・拾遺』p.52 太字はnakagawa)

板付星いたつけのほし

この星が見える頃遡上する、氷魚を掬う笊や漕ぎ乗る舟に見立てていたとのこと。

コップ座の形はなるほど竹製の魚籠に似ているかもしれない。

コップ座

魚籠
DAO-26521 藝術,美工,設計,素材,廣告,廣告素材

だがコップ座から連想しうる〝漕ぎ乗る舟〟の形とは??
笊に例えられているので、竹で編んだ舟なのだろうか、ベトナムにあるような。

http://www.oceandictionary.jp/z/z19000/z19032.jpg

ベトナムの竹籠舟
「海洋総合辞典(http://www.oceandictionary.jp/scapes1/scape_by_randam/randam9/select932.html)より引用

それとも竹筏のようなものなのか?
〝板〟付とあるから、板舟のはずだが。

これに関してはよくわからなかった。

鯔寄星(いなつきのほし)

鯔とあるのはボラのようだ。
河口や内湾の汽水域に生息し、関東から九州の太平洋側では、10月から1月にかけて海で産卵し、翌春幼魚が沿岸の河口や河川に群れを成して遡上してくる。
古名を「クチメ」といい、『日本書紀』で山幸彦が無くした釣針を口から出したのがこの魚だという説があるらしい。(「日本の旬・魚のお話」より)

昭和の初め頃までは、春先の沿岸でバシャバシャと群れる様子がよく見られたようだ。
まさに〝磯の石を積み上げたところに春近きを知る魚の群れを感じる名〟と言える。

なお余談ながら補足しておくと、〝磯の石を積み上げたところ〟とは湊の護岸のことである。
ページ数をメモし忘れたが『儺の國の星』にこのように書かれていた。(文もバラバラに抜粋)

倭人は胡人を〝つきひと〟とよんでいた。太陰暦の氏族の意であるが 又漂着の船人の形容でもあった。自らの力で海底に潜って石を抱きあげては磯城を築いてきた。

〝しき〟も〝たまかき〟も〝みづがき〟も湊の入り口に八の字型に築き並べた石群の垣であって、津波や網引きの勢力を吸収しもって中に繋ぎ留めた船の流れ去るを守る仕組みであった。

住江(すみのえ)とは〝しきのうみのえ〟即ち磯城(しき)でかこった湊のことであった。

湊の入り口に八の字型に築き並べた石群の垣
〝湊の入り口に八の字型に築き並べた石群の垣〟の例

菜著星(なつきのほし)

地上の草木だけでなく、水中の藻類も芽吹く季節。
海藻が春の嵐で海岸に打ち上げられた光景からついた名。
春は漂着ワカメの季節。
これも季節の風物詩。

CC 表示-継承 3.0, リンク

『儺の國の星拾遺』,Alkes

「田付星」Alkesには春の植物の名前もついている。

田付星(たつけぼし)は又蘩蔞星(はこべらぼし)柞星(ははそのほし)そして、特に那珂川で茅花星(つばなのほし)茅蔞星(つばらのほし)石蒜星(づべらぼし)と言う。〝づべら〟とは彼岸花の葉の方である。葉ありて花の咲けるを知らず、花燃ゆるとも葉の緑なるを知らず、故郷に祖先の墳墓の 何處いづこにあるかを知らぬ 蒼氓そうぼうの心であった。

(『儺の國の星拾遺』p.50)

文字だけではピンとこないが、(ははそ)以外は春先によく見かける草花の名だ。

蘩蔞

コハコベ
コハコベ
By Kaldari投稿者自身による作品, CC0, Link

茅花・茅蔞?

石蒜(彼岸花の葉)

朝姫 – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=61784068による

 彼岸花は秋の彼岸頃に赤い花だけが咲き、花が終わると葉が伸びて来て翌年の春枯れる。
それが「故郷に祖先の墳墓の何處いづこかにあるかを知らぬ蒼氓の心」を表しているとのこと。
この地には渡来系の人たちがいたことになる。

最後に(ははそ)

ははそ」は一般的にはコナラや近似種のクヌギ・ミズナラの事とされているが、『儺の國の星拾遺』には別のことが書かれている。

昔は夏至の日に老いも若きも相睦び相和す祭りがあった。これを周の世は さくとよび、秦の世には 臘とした。八百萬神やほよろずのかみの相集う月であったが、後には祖先の霊魂をこの日に一括して祀ることになったのは漢(前二〇二~後八)の世に入ってからと聞く。祖先の命日が如何なる孝の厚き子孫と雖も、相重なり相継ぎ、もって祭りあはすことが出来なくなったからである。それほど極東の民族は祖先の行蹟をよく心に銘じていたのである。この日祭壇に立てる木を さくとし、祖先は〝ははそ〟と訓じた那珂川に自生する 楊梅やまもももまた〝ははそ〟の一つであり、古墳の上に植える式例があった。今の神事の〝さかき〟は後世の代用である。

(『儺の國の星拾遺』p.29太字はnakagawa)

夏至の祝祭に立てる木が(ははそ)だという。
そして那珂川に自生する楊梅もまた(ははそ)の一つだと。

楊梅といえば、那珂川市の木だ。

那珂川市市ノ瀬日吉神社の境内には、市の木の由来となった楊梅の古木がある。

Alkesを柞星(ははそのほし)と名付けたのは、石蒜星と同じように故郷や先祖を偲ぶ心だったのだろうか。

さほど明るくないAlkesが望郷の星になる不思議。

まだまだわからないことだらけだ。

2018年6月5日『儺の國の星拾遺』,Alkes,田付星

6月5、6日頃は二十四節気の芒種にあたる。

稲や麦など(のぎ)のある作物を播種する時節だ。

芒種は太陽の運行に基づいたものだが、星の運行もまた農事の目安とされていた。

その一つがコップ座のAlkes。
別名を「田付(たつけ)星」と言うそうだ。

この星が夜空に見える春先から晩秋まで、人々が田漬けになる事から来た名前のようだ。(『儺の國の星拾遺』p.49)

コップ座はワインを入れる杯に由来しており、優勝カップ・トロフィーといった感じだ。日本人にはなじみがなさそうに思えるが、筑紫では早くからこの形が認識されていたらしい。

背振山頂から見た2021年5月11日20時頃の星図(視野180°)

Alkesには他に「水引星(みづひきぼし)」「有年星(うねのほし)」「稲箋星(いなつきぼし)」といった農作業に関する別名があり、「稲箋星(いなつきぼし)」の名がコップ座の形に関係している。

時あたかも田を割って水を入れる季節でもあるところから 水引星みづひきぼし、或は有年星(うねのほし)などとも呼ばれる。
(『儺の國の星拾遺』p.49)

百姓は籾種を ざるに盛って井戸の中に吊り下げ、寒の水に漬る。水温十五度が発芽を早めるからである。稲箋星(いなつきのほし)の名がこれで、いずれも杯、或は盃の形に思いをる名であったかもしれない。
(『儺の國の星拾遺』p.52)

乾いた田に水路の畝を立てたり籾種を盛る笊の形に見立てたり、この星は水田の準備を始める合図にもなっているようだ。

他にも季節に関する様々な別名があるので次回以降紹介していきたい。