『儺の國の星拾遺』,Alkes

「田付星」Alkesには春の植物の名前もついている。

田付星(たつけぼし)は又蘩蔞星(はこべらぼし)柞星(ははそのほし)そして、特に那珂川で茅花星(つばなのほし)茅蔞星(つばらのほし)石蒜星(づべらぼし)と言う。〝づべら〟とは彼岸花の葉の方である。葉ありて花の咲けるを知らず、花燃ゆるとも葉の緑なるを知らず、故郷に祖先の墳墓の 何處いづこにあるかを知らぬ 蒼氓そうぼうの心であった。

(『儺の國の星拾遺』p.50)

文字だけではピンとこないが、(ははそ)以外は春先によく見かける草花の名だ。

蘩蔞

コハコベ
コハコベ
By Kaldari投稿者自身による作品, CC0, Link

茅花・茅蔞?

石蒜(彼岸花の葉)

朝姫 – 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=61784068による

 彼岸花は秋の彼岸頃に赤い花だけが咲き、花が終わると葉が伸びて来て翌年の春枯れる。
それが「故郷に祖先の墳墓の何處いづこかにあるかを知らぬ蒼氓の心」を表しているとのこと。
この地には渡来系の人たちがいたことになる。

最後に(ははそ)

ははそ」は一般的にはコナラや近似種のクヌギ・ミズナラの事とされているが、『儺の國の星拾遺』には別のことが書かれている。

昔は夏至の日に老いも若きも相睦び相和す祭りがあった。これを周の世は さくとよび、秦の世には 臘とした。八百萬神やほよろずのかみの相集う月であったが、後には祖先の霊魂をこの日に一括して祀ることになったのは漢(前二〇二~後八)の世に入ってからと聞く。祖先の命日が如何なる孝の厚き子孫と雖も、相重なり相継ぎ、もって祭りあはすことが出来なくなったからである。それほど極東の民族は祖先の行蹟をよく心に銘じていたのである。この日祭壇に立てる木を さくとし、祖先は〝ははそ〟と訓じた那珂川に自生する 楊梅やまもももまた〝ははそ〟の一つであり、古墳の上に植える式例があった。今の神事の〝さかき〟は後世の代用である。

(『儺の國の星拾遺』p.29太字はnakagawa)

夏至の祝祭に立てる木が(ははそ)だという。
そして那珂川に自生する楊梅もまた(ははそ)の一つだと。

楊梅といえば、那珂川市の木だ。

那珂川市市ノ瀬日吉神社の境内には、市の木の由来となった楊梅の古木がある。

Alkesを柞星(ははそのほし)と名付けたのは、石蒜星と同じように故郷や先祖を偲ぶ心だったのだろうか。

さほど明るくないAlkesが望郷の星になる不思議。

まだまだわからないことだらけだ。