沙羅星と伽日良星

BC200年6月25日夏至 挙母神社から伽日良星・沙羅星を見る
BC200年6月25日夏至 挙母神社から伽日良星・沙羅星を見る

さそり座のシャウラ、いて座のカウスアウストラリスには、猿太星・挙母星のほかにも別名があります。
それが伽日良星(かひらぼし(シャウラ)・沙羅星(さらのほし(カウスアウストラリス)です。
これは夏至の祭りに由来する名前です。

まず沙羅星について『儺の國の星拾遺』p.29より引用します。

沙羅星(さらのほしと書く。□臘星(*さらのほしでもあった。 (中略)
昔は夏至の日に老いも若きも相睦び相和す祭りがあった。これを周の世は(さくとよび、秦の世には 臘とした。八百萬神(**やほよろずのかみの相集う月であったが、後には祖先の霊魂をこの日に一括して祀ることになったのは漢(前二〇二~後八)の世に入ってからと聞く。

次に伽日良星について『儺の國の星拾遺』p.35より引用します。

真夏の夜の舞踊を殷代(前一四〇一~一一二三)には、嘉平といった。これを倭人は“かひら”と訓じ韓人は何比羅と書いた。伽日良星(かひらぼしの名がこれである。周代(前一一二二~二五〇)は、(、秦代(前二五九~二〇七)は(らふといった。これが“さたのほし”の由来であったかもしれない。 爰女星(さるめのほしの名があった。 海の下に果てた星影の神話が思い出されるところである。


* □で欠字にしている文字はという漢字です。
** 歴史的仮名遣いですので、読みは「やほよろず→やおよろず」。

音韻的に、この名前も「サル」に通じるなぁと思っているところです。
(沙羅「サラ」はr音が紛れやすいですね。嘉平も現代ピンインで“jiā píng”ですので、殷代音は日本語のサ行古音に近かったかも?)

挙母神社の北は猿投山

BC50年9月20日挙母神社から北を見る
BC50年9月20日 挙母神社から北を見る

挙母神社からどんな星景色が見えるのか、ぐるっと見回してみました。
すると、北に猿投山がありました。おおー。

垂仁天皇の時代はどうだったのかな。
北斗七星は水平にのるかな?と思ってシミュレート。
ちょっとずれてました。

でも、猿投山の上でポラリスが日周運動しています。(白丸部分)
この時代は北極星が無かったのですね。

BC50年6月26日挙母神社から北を見る
BC50年6月26日 挙母神社から北を見る

そうそう、猿大海が垂仁天皇を案内した話は『住吉大社神代紀』に載っていたことでした。
私は「地方史ふくおか154号」に掲載されていた記事で読んだので、地元の伝承だと勘違いしていました。
地元の話であることには違いありませんが。

猿大海が案内したところは高木神の伝承があるので、ちょっと気になってます。

名島神社の怪魚

名島神社の・・・鯤?
名島神社の・・・鯤?

名島神社にある魚の石像。

遠目に見たときは鯰かと思いました。

近づくとヒゲがありません。

昭和60年に奉納された新しい物でした。

*追記
世話人 富永朝堂
作者  國廣秀峯
とあります。
願主の方の意向が地元の彫刻家富永朝堂氏を(、国広氏が制作されたのかなと思いました。