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Alkes⑤ 石蒜星

 コップ座アルケス③で、アルケスには春を象徴する草木の名前が付けられていることを書きました。

 その中で彼岸花の葉を意味する石蒜星(づべらぼし)に注目したいと思います。
 
 

 田付星たつけぼしは又蘩蔞星(はこべらぼし)柞星(ははそのほし)そして、特に那珂川で茅花星(つばなのほし)茅蔞星(つばらのほし)石蒜星(づべらぼし)と言う。“づべら”とは彼岸花の葉の方である。葉ありて花の咲けるを知らず、花燃ゆるとも葉の緑なるを知らず、故郷に祖先の墳墓の 何處いづこにあるかを知らぬ 蒼氓そうぼうの心であった。

(『儺の國の星拾遺』p.50)

 
 石蒜星(づべらぼし)と言う名付けには、“故郷に祖先の墳墓の 何處いづこにあるかを知らぬ 蒼氓そうぼうの心”が込められているというのです。

 これは、次の記述とリンクしていると私には思われました。

胡人は星を見て民族の流浪と国家の存亡の運命をしった。その胡人が日本に来て数千年以上の安住の地と見定めると、星は季節の移り変わりの兆候として仰ぐことになった。空間に対する驚怖は時間に対する歓喜に化した。

(『儺の國の星拾遺』p.50)

 “胡人”とありますので、何時の時代かの西域の民のようです。

 その胡人がはじめ星に見ていたのは民族の流浪と国家の存亡だったというのです。

 “星を見て民族の流浪と国家の存亡の運命をしったというのは、情報手段として星の観測をしていたということなのでしょう。
 具体的なことはわかりませんが、例えば星占や星の高度で自分たちの位置を知るようなことだったのでしょうか。

 コップ座アルケスのことを那珂川町で特に石蒜星(づべらぼし)という背景には、この地にたどり着いた胡人の数千年の想いがあるように感じます。

 定住してもなお故郷を偲び、その蒼氓そうぼうの心が石蒜星(づべらぼし)の名前を生んだのだと。

 民族固有の精神性とでも言うべきものが、数千年たった後まで失われなかったとしたらすごいことです。(逆を言うと、胡人が日本にやってきたのは少なくとも数千年前、石器時代の終わりか縄文時代頃となります。なんだか漠然としてイメージがわきにくいです。)

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 余談ですが、石蒜(づべら)について『儺の國の星拾遺』にこのような記述もありました。

昔は石蒜(ひがんばな)を綾華といひました。七十年に一度は秋分をすぎてもまだ紅の花の色が雨に あせずに咲き残ることがありました。祖先はこの花の色に西域の特産たる 絨毯毛氈じゅうたんもうせんの妖しき色彩をあれこれと索りました。また呉服、すなわち 蜀紅錦しょくこうきんのみごとな色合いに目を瞠りました。

(『儺の國の星拾遺』p.267)
綾文星あやのほし/アンドロメダ座ミラク )

 彼岸花の別名を綾華といい、アンドロメダ座ミラクの名前「綾文星」になっているとのことです。ミラクは秋の夜空に見える星で、この場合は彼岸花の花の方を意味しています。

    同じ彼岸花が、

  • 春はアルケスで石蒜星。こちらは葉の方をメインにした名前。
  • 秋はミラクで綾文星。こちらは花をメインにした名前。

 葉と花のどちらに注目するかで季節が違うのが面白いです。

 「アンドロメダ座」や「綾」は胡人と関係が深いことも『儺の國の星』には書かれていますので、故国を思っていたことがわかる星の名付けなのだと思いました。

 日本を安住の地と見定めた のち、星を季節を知るものとして仰ぐようになったと書かれていますので、春の石蒜星と秋の綾文星は定住した後の名付けでもあるのだと思いました。

 彼岸花はその名の通り、お彼岸頃に突然姿を現す感じで咲きます。時計のように正確に期日を知らせてくれるので、暦正ツールにもなりますね。



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