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猿太と挙母 沙羅と伽日良やり直します

宇美町 舟石
宇美町 舟石

さそり座シャウラといて座カウスアウストラリスの別名について、“夏至”と“稲作”の視点で見ていましたが、やり直すことにしました。
今までの記事をとり下げています。

やはり、というか当然というか、歴史の話になると出雲を避けるわけにはいかないのですね。
で、出雲に触れるならこちらにも触れなければ・・・と芋づる的にいろんな事が浮上。
あっダメダコリャ。です。

それでも今まで知らなかったことがわかりました。改めて確認できたことも。
・隈本と球磨の“クマ”は語源が違う。
・キサカ姫は夏至の女神、伊勢の興玉は太陽カレンダー作成。
・挙母の氏族と崑崙人は関係ある??
などなど。

顔を洗って出直します。

隈本は観星台
  ↓

天官は終夜の観測と事としていた。全天を隈なく見わたすところから、察するに宣命暦(宣明暦が公布された清和帝貞観三(八六一)年あたりの古語かと思われるが、観星台のことを隈本(くまもととよんでいた。(『儺の國の星拾遺』p.173)

*加藤清正が入封したとき「隈本」を「熊本」に改称したと言う説がありますが、その「隈本」も含めて、北部九州に多い「隈」の字を持つ地名を考えたいと思っています。

球磨は「許呂母」に由来する
  ↓

挙母星(ころものほしの名も聞かれた。 (中略)
垂仁帝(前二九~後七〇)に許呂母(ころもの名が出る。三河國加茂郡であるが、やがて甲斐國巨摩郡にその分家が移る。不思議なことに、この地の民謡が筑紫には随所に生きていた。 (中略)
萬葉假名から推察すれば、この巨摩と同じ系統の地名は、肥前対馬であり、肥後球磨であり、別の系統が倭人伝の投馬国、即ち時に肥前領であり、時に肥後領であった天草郡であった。(『儺の國の星拾遺』p.31~p.32 太字はnakagawa)

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