青木天満宮(久留米市)

『儺の國の星拾遺』に、汽水のことを〝あか〟、淡水を〝あを〟と呼んだ話があります。

これは感潮域で意識される言葉のようで、筑後川流域に地名として〝あを〟が残っていると書かれていました。

 〝あか〟とは籾や米の色そのものであるが、本来は含塩淡水を表現する古語であった。塩分の全くない淡水は〝あを〟であって、これは今も千歳川の流域にわずかに生き残っている。

『儺の國の星拾遺』p.104

千歳川=筑後川の別名 

筑後川流域の〝あお〟地名と言えば、思いつくのは久留米市城島町の〝青木〟です。

そんなわけでこの地の鎮守を訪ねたのでした。

特別な時に出される美しい御朱印が有名ですね。

神社の由緒。

『社方開基』によると、老松宮の「社領弐拾五町、天正年中まであった」と申し伝えています。当社の建立につきましては、一の宮の南方、広々とした田園に囲まれた老松茂る場所に後二条院の御宇正安2年(1300)に当村の領主堀右京進が天満宮を勧請したのが始まりです。社号を老松宮とつけ、寛永年間には久留米藩有馬氏より社領200石の寄進を受け、慶応4年(1868)に天満宮と改称しました。 明治6年3月14日に郷社に被定され、現在でも青木之荘総鎮守の氏神様として、篤い信仰を集めています。

(青木天満宮のHPより引用)
*「社方開基」
  =江戸時代に久留米藩の神社を調査した記録

神門の所に運玉が置いてあります。

庭の亀石に向かって投げ、運を試すのだそうです。

こちらはうめき灯籠。

飢饉・疫病等の大きな不幸が訪れるときうめくのだそう。
平成3年(1991)の大型台風来襲の折にもうめき声をあげたとのこと。
新型コロナウィルスはどうだったのでしょうね。

この灯籠は天明の大飢饉があった年(天明5・1785)に奉納されたもので、神社でも飢饉を逃れようと祈願を行ったそうです。
その時、『鬼門に向かい、弓を鳴らし矢を放て。』との神託を受け、その通りにしたら難を逃れることができたのだとか。

以来火清鳴弦祈祷ひきめんごきとう神事として、現在でも200年前さながらの状態で厳粛に斎行されているとのこと。

祭典日は3月31日と4月1日。
ちょうど明日あさってですが、今年は平日なので行くのはちょっと難しいかな。

そういえば、神社には龍の彫刻がよくありますが、こちらは翼竜でした。

筑後地区では翼がある龍をよく見るように思います。
何かあるのでしょうか。

さて、冒頭の〝あか〟と〝あお〟の話に戻りますが、ここは有明海まで10キロほどと近く、弥生時代(に限らず)は大潮の影響があったと思える場所でした。
耕作可能地として〝あお〟が入った地名でマーキングしたとしてもおかしくないと思えました。

河口の〝あお〟地名を全国的に探すと面白いかもしれませんね。

それと船に入った水を〝あか〟と言うのもこれかなぁと思ったのですが、どうでしょう。
〝あか〟は波をかぶったか浸水したかで入った塩水のことで、掻き出すべきもの。
〝あお〟は雨水などの真水のことで、貴重だから溜めておくべきもの。

なんて。
そんな話はどこにもないですね。

 
error: Content is protected !!