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対馬豆酘の赤米行事 種子島宝満神社の御田植祭

千座の岩屋
種子島千座岩屋 By みっち投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, Link

赤米のことを中世は唐法子米とぼしごめと言ったそうです。

今は対馬豆酘(つつ種子宝満(たねほまにわずかに栽培される赤米を、昔は唐法子米(とぼしごめと言った。
(『儺の國の星拾遺』p.121)

対馬と種子島の赤米神事をwebで検索しました。
二つの島にこの神事が残っているのは、渡来ルートにあたるからなのでしょうか。

対馬ではもう一軒しか受け継いでらっしゃらないとのこと。大変だ。

対馬の赤米神事の一年の流れは次のようになっていました。

年中行事
四月 籾種おろし
五月 田植え
十月 稲刈り
旧暦十月十七日 お吊り坐し
旧暦十月十八日 初穂米
旧暦十二月三日 斗瓶酒
旧暦十二月十九日 日ノ酒
旧暦十二月二十八日 寺田様の餅すき
旧暦一月二日 初詣り
旧暦一月五日 潮あび
旧暦一月十日 頭受け
旧暦一月十二日 三日祝い

(引用元:対馬ブログ赤米行事)

特に旧暦1月の「頭受け」神事が重要なようです。種籾を次に渡すことが何より大切だったのですね。
種籾を大切に次に渡しながら、稲作を伝えたのだなと思いました。

NHK新日本風土記アーカイブスに短い動画がありました。
  ↓

種籾は天井に大切に吊されて保存されます。
これ、縁起担ぎとして梁に俵が吊されることの由来ではないかと思いました。
といっても、築100年以上たっているような旧家でしか見ることができないでしょうけれど。

また、動画の中で籾に海水をかける場面がありましたが、『儺の國の星拾遺』に、干潟が綿花で塩抜され段階的に稲田になっていった話があったのとリンクしました。(アザカの海の話も、干潟を開拓する話として書かれていました。)

縄文海進で陸地深く浸入した海が弥生時代に後退し、だんだん耕作地になっていったことと関係があるのかと思いましたが、さてどうでしょう。

杯を交わすとき、「下の方にも水をください」的な台詞があり、これも真鍋家の伝承とリンクしている気がしました。気のせいかもしれません。

種子島の祭事の方は、田植えから収穫までの過程を記憶し伝承する感じがしました。

昭和の種子島の様子をアップしているページが興味深かったので紹介します。

お供えに粽があることに注目しました。
『那珂川の歳時月例』によれば、「粽は日足を測る竿(夏至柱)」の象徴でしたから、そこから来ているのだとしたら興味深いです。

対馬と種子島と総社市で赤米の日本遺産登録を目指しているそうです。
住んでいる方は大変だと思いますが、残して欲しい文化だと思います。

話は全く変わりまして。

私は全然知らなかったのですが、南種子島って遺跡の宝庫なんですね。
大好きな装飾貝がある広田遺跡がここだったとは知りませんでした。
宇宙センターもあるし。海蝕洞も見事だし。
すごい場所でした。

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