佐伯星さいきのほし

ペルセウス座のMirfakミルファク(旧名Argenib アルゲニブ)を佐伯星さいきのほしと言うそうです。

位置。

すばる(プレアデス星団)と馭者座の一等星カペラを目当てに星空を見れば見つけられると思います。
今(2021年3月)は火星も近くにありますので、赤い星も目印になるかもしれません。

本文を引用します。

佐伯星の名があった。佐伯なる氏族は北方の胡族であって、よく湖を見出し、井を造る特技があった。
『古事記』景行紀には倭建命から分かれた讃岐の綾の君の名が見える。
日高見国ひたかみのくにから抜擢してつれてこられた北人あへひとの系統である。単于せんうなる胡人であって、火山地域に住居を求めた民族であった。
讃岐の地にはまだ随所に旧噴火口が露出していた。従ってここが九州を別にしては、四国でただ一つの北人あへひとの集中的居留地であり、やがて周囲から隔絶されて自滅する運命にあった。
後に空海(774~835)がこの系統から出る。幼名を真魚まをと言う。数百年昔の祖先が築いた池に棲みついた大魚に因んだ名であったかもしれない。又蝦夷あへぬ、即ち毛人まおひとに由来したところかもしれない。
佐伯氏は旱魃の地方が出るたびに諸国に分散して、池の造成工事を掌握した。時には旧火口から溢れる水脈の涸れざることを祈る神官ともなり、その家系が今に及んでいる。

『儺の國の星拾遺』p.176

佐伯氏はもともと〝北方の胡人〟〝単于なる胡人〟で〝北人の系統〟と書かれています。
中国大陸の北の方にいた氏族のようです。

また、単于というと匈奴などの君主の称号を思い起こしますが、別の箇所ではこう書かれています。

欧亜を往来する民族を単于せんうという。後にこれが極東に定着する頃は燕(前一一二二~二二二)の世に入ってからのことであった。即ち故郷をもたぬ流浪の民族を漢人は単于北狄と一括した。あきらかに東人でもなければ西人でもない中間の民族の素性を表現した言葉が、単于であり鄯善であった。

『儺の國の星拾遺』p.131

ヨーロッパとアジアを往来する流浪の民だったとのこと。
通商の民だったようです。

燕の時代に極東に定着したとあります。燕は渤海に面しており当時の日本とも関係があったので、この地を通ってやってきた人たちの中に佐伯氏がいたのでしょうか。

また、こんな記述もあります。

常陸国風土記 茨城郡の条に曰く

山の佐伯さへき、野の佐伯、自ら賊の長と為り、徒衆を引率て國中を横しまに行き、いたかすめ殺しき。

藤原宇合(694~737)の名文に成るこの記述は、近東のアンティオキヤから長安をへて、遂に石岡までのシルクロードを開拓したソグドの氏族の片鱗を窺わせる。
西条の地名は播磨加古、備後比婆、安芸賀茂、阿波板野、伊予新居、三河幡豆、安房安房あは、安房長狭にみられる。これが倭人が翻訳翻案したシルクロードの道路みちすじであった。
西郷の地名は摂津豊能とよの、伯耆東伯とうはく、隠岐周吉すき、筑前宗像、肥前神埼、肥前高来、大隅姶良、美濃本巣もとす、三河渥美あつみ、遠江小笠おがさが挙げられ、もって佐伯の氏族の別所であった。

『儺の國の星拾遺』p.167~p.168

そう、〝ヨーロッパとアジアを往来する流浪の民〟とはソグド人だというのです。
確かにソクド人はシルクロードの交易の民として知られていますが、それが日本に来て佐伯氏になった???

各地の西条地名はソグド人が開拓した商業ルートで、西郷地名はその拠点ですって。
ほんとかなぁ。

あくまでも伝承です。
こんな話もありますと紹介してみました。

 
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