『儺國の星拾遺』に厳島神社の三女神は宇品から遷されたという話がありまして、本当かなーと思いつつ訪れた時の記録です。
まずは宇品港を整備した千田貞暁に敬意を表し、千田廟公園へ。
立派な宇品新開地紀念碑がありました。
千田廟。
正岡子規が宇品から船に乗って従軍した時の句碑もありました。
「行かばわれ筆の花散る処まで」
宇品は出征していく場所でもあったのですね。
広島市郷土資料館も宇品にあります。変わった建物だなと思ったら、陸軍の糧秣支廠(兵士の食糧や軍馬の飼料を製造・保管・補給するための施設)だったそうです。
ちょうど宇品港の展示をやっていました。
ブラタモリ広島編の復習になりました。
さて、いよいよ目的の宇品島へ。
もし伝承が本当なら、古宮跡か類するものがあるのではないかと思い地図を見ると、島に神社は一つだけでした。
それがこちら。
住吉神社です。
江戸時代に勧請されたそうです。
時代は新しくても元々そういう土地だった可能性はありますから、そこは気にならないのですが、うーん、何か違う。
雰囲気も、場所的にも。
で、もし元宮か何かがあるとしたらこの上じゃないかなぁ・・・と崖を見る。。
はい。
上まで行ってみました。
すごい。いいながめ。
おそらくここは、昔から利用された場所でしょう。
海からは目印として。陸からは見張りなどとして。
下から見えていた建物は観音寺というお寺でした。
花がきれいだったのと、「平和の鐘」と書かれた小さな梵鐘がつるされていたことと、境内社として三宝大幸神があったことが印象に残っています。
今回ブログを書くために調べてびっくり。
ここは毛利氏福島氏浅野氏といった、歴代藩主に信仰されたお寺だったのです。
きれいだと思った花は広島椿といい、浅野長晟が紀州から入封する際、妻の振姫が育てた椿を持って来てこの地に植えたものとのこと。
平和の鐘も、毎年8月6日に行われる平和記念式典で実際に鳴らされたものでした。
思っていたのと違うなーと、さっさと降りてしまったのがつくづく残念。
そうそう。
『儺國の星拾遺』の話ですが、大竹市の伝承と併せても宇品から三女神を遷したというのはなさそうです。
なぜそんな話が伝わっているのか(そんな話にしたのか)、そこを掘ったら面白そうですけれど。