神鉾神社(久留米市)

久留米市竹野の神鉾神社。
祭神は八千矛神です。

社殿は階段になっている参道を上った小高いところにあります。

すぐに鳥居が現れます。

次の画像は、鳥居をくぐった後振り返って撮ったもの。
鳥居の足にたくさんの盃状穴。
手水や灯籠・狛犬の台座、参道の石段にあるのはよく見ますが、これは初めて見るパターンでした。

台輪があるタイプの鳥居です。


境内に到着。

社殿は上の画像の向かって左にありますが、正面奥にさらに上へ行く階段があります。

次の画像でわかる通り、奥に続いています。

さらに拡大。
奥の階段がほぼ垂直に見え、登るのが躊躇われました。

この階段の先に上宮があるそうです。
結局体力と時間の関係で今回は上まで行きませんでした。

福岡県神社誌によれば、由緒は次の通り。

創立不詳、古老の口碑に本村の東南隅に岩窟あり、(今飛塚と云 天満社あり、)時々窟中より光を發す一夜震動輝電の如く閃て其西南山腹なる岩上止る人民怪み且愕て到見るに一の金鉾岩上に立てり、(岩の高さ二丈六尺俗に御岩様と云ふ岩前面璧障の如し 其色古銅の錆したるに似たり、)時に神託ありければ社殿を造營し齋ひ祭り神社を神鉾大神と稱す、(現今社殿の所なり岩邊嵯峨造築の地なし、因て岩の麓凡五十間餘隔て創立す、)

(『福岡県神社誌』中巻p.218)



*補足*
本文中に小文字で挿入されていた注釈を、地の文と区別するためnakagawaが括弧書きにしています。また、句読点がなく読みづらい箇所は一字空けました。

創立は不祥とのこと。

古老の口伝によれば、村の東南の隅(今は飛塚と言って天満宮があるところ)に岩窟があり、時々岩窟から光を発していたが、或夜地響きがして落雷のように光り、西南にある岩の上に落ちたとのこと。

人々が怪しみ且つ驚いて行ってみると、一本の金の矛が岩の上に立っていたのだそうです。
その後神託があり、現在の場所に祭って神鉾大神と称したとあります。

金の矛が落ちたところは岩が切り立っていて社殿を建てる余地がなかったため、岩から90mほど離れた麓に創建したのだそう。

上宮が、実際に金の矛が落ちた場所となります。

村名については、古事記の「夜知富許やちほこ」からとって「富許村ほこむら」としていたのを、後に「富許とみもと」と読み、字も「富本」と変えたのだそうです。

矛が落ちたから「富許ほこ」村なのですね。
地図で「富本」地名を見たときは「富」と「八千矛」の取り合わせにあれ?と思いましたが(八千矛神を祭るとしたら富ではなく神門ではないかと・・・)、たま、たまこうなった名前のようです。

『福岡県神社誌』には、岩を焼毀しようとしたら炎が当たる所がただれ落ちて固まり、それがあたかも金鉾のようだったと言うことも書かれており、岩は鉱石であったような印象を受けました。

だとすれば、「時々窟中より光を發す」「一夜震動輝電の如く閃て」というのは、岩窟で金属を扱っていて爆発した様子なのかとつい想像妄想してしまいますが、飛塚には古墳があり色々出土しているようなので、玄室が開口した様子をいったのではないかとのことです。

そうそう。
不思議なことに、旧社殿の鬼瓦には花菱(門光)紋がありました。
一瞬〝剣花菱〟では無いかと思いましたが、違いました。

高良大社の紋です。

また、奉納されている矛は三つ叉でした。

次の機会には上宮まで行ってみたいと思います。

 
error: Content is protected !!