葦舟の〝あさくら〟と観音塚古墳(朝倉郡)

エジプトのパピルス 舟が古代日本にもあり、当時干潟だった筑後平野に往来していたものを、特に〝あさくら〟と呼んでいた話を紹介しました。(前記事参照)

この時頭に浮かんでいたのが、朝倉郡筑前町の砥上観音塚古墳です。

奥壁にたくさんの舟が描かれていて、被葬者は舟と関わりが深かったと思われます。

現地案内板の図をトレースしてみました。

壁画に舟が描かれた古墳は他にもありますが、これほど多いのは珍しいのではないでしょうか。

図を見ると、舟の胴体には膨らみが無く、底が浅かったことがわかります。
また、舳先と艫が上を向いています。

私にはパピルス 舟の「軸とともを中空に張りあげた形」に見えました。(詳しくはこちら

中には舳先か艫の片方だけ上がっているものや、平らなものもありますが、葦舟には片方だけ高く上げたスタイルもありますから不自然ではありません。
(「使っている内に 葦パピルス が水を吸って重くなるので、空中に結い上げていた軸艪を降ろして浮力を補った」ということですので、ある程度使い込まれた舟の様子かもしれません。)

筑後平野が干潟だった時代と古墳が作られた時代にどのくらい開きがあるのかわかりませんが、〝あさくら〟と呼ばれたパピルス 舟の記憶がここにあると思えました。

思い込みで物事を見れば、何でもそう見えてしまうケースかもしれませんが。

 
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