織姫様に会いに久留米へ行きました。
手にしているのは
胸元から垂らしている布は高麗のノリゲのようにも見えました。
この地に連れてこられた織姫の故郷の衣装なのでしょうか。
けれど襟元は小さめの立て襟で洋風です。
そのせいか、ぱっと見マリア様にも見えました。
ん?もしかしてノリゲじゃ無くてリボンタイ??
襟から続いてるスタイル??
頭から布を被ったような姿と宝髻のようなふくらみは、仏像的な雰囲気もありますね。
とはいえ、なんと言っても一番の特徴は燦然と輝く額の星。
私には、ベガ(織女星)の具現に思えます。
ここはTさんに教えていただきました。
地元の方が大切にしていることが伝わる心あたたまる場所でした。
行ってよかったです。
教えて下さってありがとうございました。
話は変わりまして。
本日2020年8月25日は旧暦7月7日です。
『儺の國の星・拾遺』から、七夕に関する記述を紹介します。
七夕は元来は織女だけで、漢人は収陰と書いた。冬至の夜、一年でもっとも闇の深いときに大地にかゝるからである。女人は織女が北辰が巡る角度をみはからって、冬の夜業 仕事に精を出した。七夕が時により所により妙見或は斗極七星のことにもなる所以である。そしてこの夜の食膳に干瓜 を供える儀式が今も続いているのである。〝たな〟は〝なな〟即ち七、〝ばた〟はBinthan 即ち星で、いずれも胡人の訛である。冬至の除夜祭を昔は〝たなばたまつり〟と云った。今は略して〝はなまつり〟と呼び、信濃伊那にその行事がのこる。〝はな〟は初一を示す高麗の古詞でもあった。(『儺の國の星』序)*南瓜の誤字か。
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七夕即ち〝たなばた〟とは、
天 に懸る機帯 のことであります。織女が天頂に上る七夕の頃に、稲の水祭 を行った古い習慣が、今の星座に変わりました。(『儺の國の星』p.29)**天に懸る機帯=天の川のこと
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七夕の名の由来はおそらく三千年の昔にさかのぼってあらゆる氏族が思い思いの伝説を創作したあとで、唐(六一八~九〇七)の時代に編輯されたものと思はれる。
(『儺の國の星』p.98)||***||***||***||***||
一年に一度の七夕の愛が一つに灼熱して
柑子星 になると語られました。 (中略)柑子星 を明神と祈り、赤
(阿伽)星 と崇めた頃は鎌倉(一一九二~一三三三)の世でありました。(『儺の國の星』p.104)||***||***||***||***||
織女はあたかも北辰が妙見信仰の対象となっていると同じく古代ははるかに強烈な女人思慕の尊崇の中心であったから、その遺風がいまだに七夕の宵に余韻を残しているのである。
Vega とPolaris の間隔は五〇度二一・七分であり、ほぼ全天三六〇度の七分の一に当たる。これが七月七日の七夕の由来の一つであった。(『儺の國の星拾遺』p.92)
まだほかにも七夕に関する記述がありますが、主なものを書き出してみました。
七夕が冬の行事で、冬至の南瓜の由来とはびっくりです。