埃及エジプト葦舟あしぶねは日本にもあった
 人が乗るスペースを〝しなのり〟と言った

『儺の國の星・拾遺』には、材料(草舟・刳り舟・板舟など)や、用途(外海・内海・河川用など)による、様々な船の話が登場します。

その中から、かつて存在し今は失われてしまったという〝葦舟〟の話を紹介します。

埃及エジプト葦舟あしぶねは日本にもあった。特に信濃の高原の湖沼には多く自生していた三稜篠みはらのしのを刈り、弓の如くに軸とともを中空に張りあげた形であった。〝しなのり〟とは中の人の乗る間であり、これが国名になり、更には吊り縄で引いた姿を〝あづさ〟として、これも〝あづみ〟と同じく郡名、河名に残っている。

(『儺の國の星拾遺』p.220~p.221)



〝みすみ〟も〝みはら〟も今は絶えて見ることの出来ぬ三稜の茎の葦舟ことであったから、その発祥は爾蓮ナイルにあったものとみえる。祖先は葦舟の中に茎や種を携えて行き着く先でこれを植えて繁殖させた。

(『儺の國の星拾遺』p.248)

古代の日本には、「三稜篠みはらのしの」が生えていたそうです。

三稜とは「かど が三つ」ということですから、三角の茎を持つ植物になります。
〝みすみ〟は茎の角に注目した呼び方、〝みはら〟は茎の面に注目した呼び方のようです。

これを編んで、軸とともを高く張り上げた舟が往来していたとのこと。
材料の〝みすみ〟〝みはら〟がそのまま舟の通称にもなっていたようです。

その発祥は爾蓮ナイルだと書かれています。

ナイル川に生える、茎が三稜(三角)の葦と言えばパピルスです。

次の画像はパピルス紙を作るために皮を剥いでいるところですが、確かに切り口が三稜(三角)です。

つまり「三稜篠みはらのしの」で編まれた舟というのは、Papyrus Boat、あるいはReed Boatと言われる舟のことだと思われます。

だから「埃及エジプト葦舟あしぶねは日本にもあった。」となるのですね。

葦舟と言えばチチカカ湖のものが有名です。

reed boat

確かに、軸艪を高く結い上げています。

そして人が乗る間を〝しなのり〟といったとのこと。

ここで言う〝間〟とは一定のスペースのことで、客間・床の間などと言う時の〝間〟だと思いました。

それこそ、大きい舟には部屋キャビンがあったのかもしれません。

例えばこの舟のような。

Lake Titicaca, Peru

こういった〝しなのり〟付きの葦舟がたくさん往来していたので、それが地名の〝しなの〟になったといいます。

こんな舟がその土地の代名詞となるほど往来していたと思うとワクワクします。

話はそれますが、「みこもかる」が信濃の枕詞なのも、三稜篠みはらのしのが豊富だったことからきている、と別の部分に書かれていました。

人が乗るスペースを備えるには材料がたくさん必要ですから、それだけ三稜篠みはらのしのが豊富だったということでもあるのですね。

本当だとしたら、何とも不思議な話です。

補足。

この記事を書くに当たり、ブログ「星空日記コリメート風」の記事『きれいなパピルス』 より、ひらい様の許可を得て、パピルス断面の画像をアイキャッチに使用させていただきました。

 
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