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倭人の夏至祭りは時を経てさなぼりになった

香取神宮御田植祭
By katorisi [GFDL or CC BY-SA 3.0], from Wikimedia Commons

連想が連想を呼んで、脱線話が続いてしまいました。
星の話に戻ります。

さそり座シャウラといて座カウスアウストラリスはどちらも夏至の頃見られる星です。
出現は40分ほど違いますが、南中高度がほぼ同じなので南の空に出ているときは並んで見えています。

この二つの星それぞれの別名に、夏至祭り由来のものと稲作由来のものがある、という話をしていました。

この二つの由来は融合し、さらに暦の変化や気候変動なども加わって、次第に夏至祭りの意味合いは薄れていったようです。
現在は、稲作行事の意味合いだけが残って“さなぼり”になっているとのことでした。

もう一度、倭人の夏至祭は“さなぼり”になったという話を引用します。

倭人も昔は、部落の中央にある平地に石柱を建て、この影が最短となる五月に、一氏一族総出の団欒を行ったと傳へれる (中略)夏至の頃は田植えが上る。”米稲の普及した縄文・弥生の頃から、北欧Ural(ウラルAltai(アルタイ民族の遺風であった盛夏の祭典は“さなぼり”なる仕事の終了の慰労の休日に置き換へられて来た。(『那珂川の歳時月例』p.27~p.28 太字はnakagawa)

“さなぼり”は地方によって“さのぼり”“しろみて”などと言うようですが、田植がすんで田の神を送る祭りというのが定説のようです。(参考:コトバンク「さなぶり」)

こちらは佐賀県三瀬村のさなぼりを解説したもの。
   ↓

田植の終わったあとの行事である。早苗振の語からきているといわれ、「さ」は田植または田植をつかさどる神の意で、神上り(さのぼり)、つまり、田の神がお帰りになる意味があり、田植えはじめを「さびらき」というのに対する語である。
本来、田植が無事にすんで、田の神を送るための祭事であったが、のちには田植終わりの祝いや休養日と考えられるようになった。
 行事の内容はさまざまであるが、餅をついたり、まんじゅうをつくったりして、御馳走といっしょに神仏に供え、田植を手伝ってくれた人々を招いてお祝いをする。
              出典:三瀬村史p642

(さがの歴史・文化お宝帳より)

私の地元でも田植えは大体6月中旬に行われています。
ですから田植えが終わって一息つくのがちょうど夏至の頃になるのです。

イネの収穫時期が縄文弥生の頃とずれてしまい、収穫を祝う祭りではなくなってしまっても、稲作行事をこの季節にやる意識は残っているというのですね。
本当だとしたらすごいです。

時系列に整理すると、
  1、初めは夏至の祭りだった。(殷代にはあった←氷河期の北欧由来?)
    ↓
  2、そこへ稲の収穫祝いが重なった。(縄文・弥生時代)
    ↓
  3、夏至祭りの意味合いが薄れ、稲作行事の意味合いが大きくなっていった。(弥生以降?)
    ↓
  4、米の収穫時期がずれて行く中、収穫行事から作付け行事へと変化。
ということになるでしょうか。

米の収穫時期がずれて行くのが徐々にだったのか一度にだったのかわかりませんが(*文末に補足あり)、夏至という時期を祝う行事から稲作を祝う行事へ関心が移っていったのは理解できました。
「サタ」という音が太陽とも稲作とも関連するのは、こういうところから来ているように思えます。

もし「サタ」音が夏至祭りの「祚・臘」から来ているとすれば、太陽と結びつく最初の形かもしれませんね。
太陽そのものではなく、太陽が一番高く上がり日差しが一番長い日である事をイメージさせる言葉、それが「サタ」だったのかも。

そこへ稲作がかぶさり、太陽と稲作両方のイメージを持つようになった。
稲作の歴史は開拓の歴史でもありますから、稲作をもたらした開拓者のイメージも付随して、田の神ともなった。
さらにいろいろな要素がくっついていき、「サタ」と「太陽」が雑駁として現在に至っている。なんちゃって。
(殷代の「嘉平」と周の「祚」秦の「臘」は、同じ真夏の夜の舞踊を示していてもそれぞれ微妙に中身が違うので、そう単純ではなさそうです。)

“さなぼり”を検索すると、いろいろな方言がありました。

また、“さ”の意味も、“早苗”だったり“田の神”だったり“田植え”だったり、いろいろでした。
それだけ広がりを持っていると言うことなのでしょうね。

ひとつ「あっ」と思ったのは、「“さ”は“水”のこと」としている地方があったことです。
『儺の國の星拾遺』にも同じ事が書かれているのです。
「猿田とは水張田(さはりだのこと」という記述もあります。

次はこのことについて少し考えてみます。


*補足
米の収穫時期がずれて行ったことについて、『儺の國の星拾遺』にもわからないと書かれています。

品種の自然淘汰か適者生存であるか、更には遺伝子の永年変化であったか、今は全く未詳である。(『儺の國の星拾遺』p.30)

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