個条書きにして整理してみます。
- 「綾歌星」
三拍子の音曲〝綾歌〟からついた名で、神楽舞の中の三拍子の踏歌がこの系統。 - 「
鷹雉星 」
〝たかとり〟とは、山雞 の古名。
倭人が天上に舞い遊ぶ鳳凰・朱雀 の類と考え、つけた名。 - 「
夜楽星 (注)」
いつの頃からかデネボラを拝して夜の神楽を明け方まで張るようになったのでついた名。
(注:「夜神楽星」と書くべき所です。「神」の脱字の可能性があります。)
(注:原文は「孔雀」となっています。天上に舞い遊ぶ鳳凰に孔雀を対置させる例はなく、朱雀がふさわしいのでnakagawaが「朱雀」としました。発音上「「すざく」と「くじゃく」は似ているので、聞き書きの際間違えた可能性があるのでは?)
こうして並べると、「鷹雉」だけ鳥の名で、音楽を連想させません。
なのになぜか「綾歌」「夜楽」と同じ扱いです。
今日はこのことについて考えたいと思います。
||***||***||***||***||
出典:Tassy 日本の野鳥識別図鑑 https://zukan.com/jbirds/leaf78093
雌雄が峰を隔てて寝るという伝承から、和歌などでは「ひとり寝」の例えとして用いられます。
また長野には、山鳥の三十三節の尾羽で作った矢で八面大王を退治したという話があるそうです。
文学的、神秘的なイメージを持つ鳥でもあるのですね。
この鳥を倭人は
「天上に舞い遊ぶ鳳凰、或は朱雀(原文は孔雀)の類の名と考えた(『儺の國の星拾遺』p.163)」
のです。
要するに「鳳凰」の代替なのですね。
鳳凰なら中国大陸の話だろうと見当を付け、検索していると、漢代に「赤鳳凰来」という踏歌があったことがわかりました。
《赤凤皇来》是汉代歌曲名,出自干宝 《搜神记》卷二。
もう少し詳しく書かれた『西京雑記』から引用します。
[本文]
十月十五日。共入靈女廟。以豚黍樂神。吹笛擊筑。歌上靈之曲。既而相與連臂。踏地為節。歌赤鳳凰来。
*早稲田大学古典籍総合データベース『西京雑記』より
[書き下し文]
十月十五日、共に霊女廟に入り、豚と黍を以て神を楽しませる。
笛を吹き筑を撃ち、上霊の曲を歌う。
既にして相共に臂を連ね地を踏み節を為す。
赤鳳凰来を歌う。[口語訳]
十月十五日、共に霊女廟に入り、豚と黍を供えて神を楽しませる。
笛を吹き、琴をたたいて鳴らし上霊の曲を歌う。
そうこうしているうちに肩を組んで(手を繋いで)、足で地を踏み拍子をとる。
赤鳳凰来(「赤い鳳凰がやって来る」という歌)を歌う。*書き下し・口語訳はnakagawa
満月の日に神女を祭る祠にお供えをして、踏歌を歌う様子がうかがえます。
鳳凰のことを倭人がヤマドリと考えたというのは、どうもこの曲に関係ありそうな気がしました。
「赤い鳳凰が来る」という歌に対して、「赤い鳥?それならヤマドリみたいなものかな」と思ったのではないかと。
そうだとすれば、ヤマドリの古名「鷹雉」が、音曲に関係あるデネボラの別名になっているのも頷けます。
もしかしたら他の理由があるかもしれませんが、「鷹雉」が音曲を連想ざせる名であることの理由の一つにはなると思いました。
||***||***||***||***||
漢王朝の末期は世が乱れましたから、海を渡って逃れてきた人達がいたのかもしれませんね。