住吉神社中津宮(福岡市)

福岡市南区にある曰佐おさ住吉神社。
用事があって通りかかったので、久しぶりに立ち寄ってみました。
かつて香椎古宮で仲哀天皇を祀っていた社殿です。

「曰佐住吉神社御由来考」によれば、宣化天皇時代の536年前後に住吉三社が置かれた際、中津宮として祭られたものとのこと。

「曰佐住吉神社御由来考」によれば筑紫国、那の津口に官家みやけ(博多区比恵)が造営されてより、此の地方は中国大陸や、朝鮮半島との外船の往来するところとなり、曰佐はその応接の要地であったため、その航海の安全や鎮守の神として筑前那珂郡に住吉三社が居かれ、(上社は那珂川町の現人神社・下社は博多区の住吉神社)当社は、その中津瀬の神として祭られたもので、その起源は宣化天皇の御宇(五三六年)の前後であると記されている。

現地説明板「曰佐住吉神社の由来」より抜粋

536年というのは『日本書紀』の「那津に各地から集めた食料を保管する官家を造らせた」という記事を受けての年号ですね。
この時住吉三社が整えられたのなら、博多の住吉神社創建は536年となるのでしょうか。
現在博多の住吉神社一社が突出して知られていますが、もともとは住吉三社だったとすると、他の二社が薄れたのはなぜでしょう。特にこの中津宮のことは、地元福岡都市圏でもあまり知られていないように思います。
大阪に住吉の神が祭られ、全国的にはこちらが総社となったことと関係しているのかもしれませんね。
筑紫の神々は畿内に遷座して故郷発祥の地を凌ぐほどの繁栄隆昌を示している」というわけです。

個人的に思ったのは、536年前後には海の守り神と「三」という数が既に対応していたのだなということでした。

宗像の三女神、綿津見三神、そして住吉三神。
元々三神だったのではなく、日本書紀が書かれた時代にかけて(神功皇后~宣化天皇~持統天皇)海上の守護神を「三」神とする流れがあるように感じています。
つまり、持統帝の時代に「三」を重要視する氏族が優勢だったので、他もそれに合わせることになったのではないかと。。
妄想ですけれど。

また、ここは古代から人が住んでいたようで、付近からは先土器時代の遺物や縄文土器、中世の貿易品などが出土しています。
現在は新幹線と都市高速が交差していて、やはり交通の要所と言えるのかもしれません。

境内の様子です。

鳥居の直前に小川があり、太鼓橋を渡って参拝するようになっています。
社殿を背にすると参道がまっすぐ二級河川〝那珂川〟に延びています。

正面から見た社殿。

再建100年の看板がありました。

大正4年に香椎宮古宮から払い下げられたとのことです。
ということは、かつてこの建物に仲哀天皇が祀られていたということ。

香椎古宮の仲哀天皇は香椎宮に合祀されています。
ですから空っぽになった社殿にどなたが入られても良いのですが、もともとここでも香椎大神(『筑前國續風土記拾遺』)を祀っていたとのことで、そういうご縁があったのですね。

そのほか社殿内の社額によれば、こちらの神様方もいらっしゃるようです。


(若大明神って誰だろう?)

絵馬道から見た社殿。

樟。

都市高速が出来てさらに周囲の様子が変わりましたが、この樟が時間を巻き戻してくれます。

さりげなくある境内の板碑は、大変貴重な物だそうです。

[最終更新日]2020/01/09