西国三十三ヶ所観音霊場第一番札所青岸渡寺。
開基説の中に、4世紀頃(仁徳天皇の時代)にインドから熊野に漂着した裸形上人によるという伝承があるそうです。
仏教はインド発祥なので、インドから来た人が開基したとしても不思議はないのですが、仁徳天皇の時代だとすると『日本書紀』の552(欽明天皇13)年や『元興寺縁起』の538(宣化天皇3)年より200年ほど早いことになります。
また〝漂着〟したとのことですが、本来の目的地は何処だったのか気になるところです。
当時このあたりに住んでいた人とは言葉が違っていたでしょうから、意思の疎通はどうしたのでしょう。
裸形上人が中国大陸か東アジア沿岸を経由していたら、熊野にも大陸の言葉を話す人がいてなんとか通じたのかもしれませんね。
(エルトゥールル号の場合は、国際信号旗で意思の疎通を図ったと言うことです。)
具体的なことを考えると不思議な話ですが、熊野の地が海上交通のクロスポイントだったことを示すエピソードとも言えます。
現在の本堂は、秀吉の発願で建てられた南紀で一番古い桃山建築だそうです。
ここに出る(ここから行く)参詣道がありました。
おそらく花山院も通ったであろう道です。
(『大鏡』の出家の場面は気の毒としか言いようがない話ですね。読み物としては面白いですが。)
石段は山の奥まで続いていました。その名も大雲取越。
時間があれば歩いてみたい道です。
(現在このルートは災害で通れなくなっており、迂回しなければならないようです。)
境内からまっすぐな滝が見えます。
那智の滝です。
ジオパーク巡り中なので早速地質図で確認。
おお、見事に地層の分かれ目にある。
山は花崗岩で地面は堆積岩なんですね。
実際の光景はこうなります。
見えている山々は花崗岩の塊なんですねぇ。
余談になりますが、地図を見ていて気づいたことがあります。
飛龍神社の鳥居から見る滝は、真北から17度ほど西にずれているのですね。
滝に向かって夜空を見上げると、逆さまになった北斗七星から水が流れ落ちて滝に続いているように見えるかもしれません。
玄界灘で見られる〝北斗の水汲み〟の逆バージョンです。
あるいは、天の川が滝の延長上に立つ光景も見られそう。
星の祭の気配はありませんでしたが、ここはそういう場所でもあるようです。