「那珂川の遠い祖先」とは?

前記事で、那珂川の遠い祖先が脊振山頂を天壇として、当時の北極星であるツバーンを祀っていた話を紹介しました。
 
もう一度その部分を引用します。

 那珂川の遠い祖先はZvanosツワノスに対して無限の信頼を元禄(一六八八~一七〇三)の世まで語りついでいた。脊振山頂はこれを祭祀する天壇であった。神代の昔に海神が青玉白玉を祭壇に供えて船人の海路平らけく安らけくを祈った頃は右樞と左樞が相和し相睦むがごとく二つながら夜空を巡る頃であった。

注・〝Zvanosツワノス〟〝右樞〟はツバーンのことで、〝左樞〟がポラリスのことです。
(『儺の國の星拾遺』p.89)

ツバーン単独祭祀から右樞(ツバーン)左樞(ポラリス)の二つが回りあう時代の祭祀について書かれています。

海神の青玉白玉といえば安曇族の祭祀なので、「那珂川の遠い祖先」を安曇族に繋がる系譜と解釈しました。

が、果たしてそうなのか?という思いもあります。

例えば、脊振の鉱物資源を取り尽くしたので新天地へ去った氏族がいた話も書いてありますし、また、大山祇神は那珂川発祥という話も書かれていて、いろんな人達がこの地に居たように書かれています。

大山祇神は那珂川発祥というのは、いくら何でもそれはないだろうと思うのですが、でも大山祇神社をよく見かけるのは確か。
(那珂川から小笠木峠経由で糸島へ行くときは大山祇神が祀られているのをよく見かけます。)

安曇族に関係する星もポラリスとツバーンだけではありません。

安曇族が展開していた地域も博多湾周辺に限りません。

「那珂川の遠い祖先」が本当はどういう人達なのか、まだまだ材料が足りていない、と言うところです。

[最終更新日]2019/11/15