「那珂川の遠い祖先」とは?

前記事で、脊振山頂を天壇として、当時の北極星であるツバーンを那珂川の遠い祖先が祀っていた話を紹介しました。
 
もう一度その部分を引用します。

 那珂川の遠い祖先はZvanosツワノスに対して無限の信頼を元禄(一六八八~一七〇三)の世まで語りついでいた。脊振山頂はこれを祭祀する天壇であった。神代の昔に海神が青玉白玉を祭壇に供えて船人の海路平らけく安らけくを祈った頃は右樞と左樞が相和し相睦むがごとく二つながら夜空を巡る頃であった。

注・〝Zvanosツワノス〟〝右樞〟はツバーンのことで、〝左樞〟がポラリスのことだそうです。
(『儺の國の星拾遺』p.89)

この部分には、北極点にある星(いわゆる北極星)が地球の歳差運動によって変わるとともに、祭祀の対象となる星も変わっていたことが書かれています。北極を知るために大切な星が、歳差運動とともに変わるのです。
(参考:歳差による北極星の移動と日周運動図(BC2700~BC500の場合)

ツバーン単独祭祀だったものが、右樞(ツバーン)左樞(ポラリス)の二つが回りあうことを祭祀するようになったとのこと。

ツバーンが北極星だったのは直近だと紀元前2790年頃です。これが「那珂川の遠い祖先」の居た時代でしょうか。
ざっくり言うと、シュメール、エラム、エジプト文明、軒轅氏黄帝とほぼ同時期。
日本は縄文時代と言うことになっていますが、さて。

それが神代の昔にはツバーンと次の北極星であるポラリスの二星祭祀へ変わっています。
北極星が無い時代は、二つの星の位置関係で北極点を見ていたようです。
直近では紀元前500年頃になります。
中国は春秋戦国時代ですね。難民あるいは亡命、もしくは交易で日本にも人が渡ってきたことでしょう。

ツバーンとポラリスを青玉白玉として祀っていたとあります。
海神の青玉白玉といえば安曇族の祭祀なので、「那珂川の遠い祖先」を安曇族に繋がる系譜と解釈しました。

が、果たしてそうなのか?という思いもあります。

例えば、脊振の鉱物資源を取り尽くしたので新天地へ去った氏族がいた話も書いてありますし、また、大山祇神は那珂川発祥という話も書かれていて、いろんな人達がこの地に居たように書かれています。

大山祇神は那珂川発祥というのは、いくら何でもそれはないだろうと思うのですが、でも大山祇神社をよく見かけるのは確か。

安曇族に関係する星もポラリスとツバーンだけではありません。

安曇族が展開していた地域も博多湾周辺に限りません。

「那珂川の遠い祖先」が本当はどういう人達なのか、まだまだ材料が足りていない、と言うところです。

[最終更新日]2020/04/18