志賀海神社の参道が脊振山頂を指している理由

以前、志賀海神社の参道が脊振山頂を指していることについて記事を書きました。

志賀海神社の参道

その時の画像になりますが、境内を背にして参道を見た様子です。

肉眼ではこの参道の先に脊振山のドームが見えました。

参道の角度に意味が有るかと、地図で確かめたところ169.2度でした。
随分中途半端な数値です。

脊振方向と逆の角度は349.2度で、ちょっとこちらも何の角度かはわかりませんでした。

脊振山は信仰の山でもありますから、特に不思議はないのかもしれません。

が、先日ふとしたことで、参道がまっすぐ脊振山頂を目指している理由(と思えるもの)が見つかりました。

それは志賀海神社の沖津宮が天御中主あめのみなかぬしを祀っていることと関係します。(『福岡県神社誌』上巻/国立国会図書館デジタルコレクション87コマ

天御中主の神格や祭祀についてはいろいろな説明がありますね。

その一つに、日周運動の中心点を神格化したものという考え方があります。

日周運動というのは、地球の地軸方向を中心に空が回っているように見えることです。

地軸方向に星があれば動かない点となります。
要するに北極星です。

ところが地球は少しぶれながら回っています。
コマを回していると、最後の方はガタガタと揺れ出して止まりますね。
あの状態と同じです。

だから地軸の中心は天空を移動します。
つまり天の北極はその時々の地軸の方向になり、地上からは移動しているように見えます。

現在の北極星はこぐま座のポラリスですが、その前はりゅう座のツバーンでした。
それはBC2700年頃のことになります。

そして那珂川の遠い祖先はツバーンに対して無限の信頼があったそうです。

それはそうですよね。
真北に動かない星があれば目印としてとてもありがたいですから。

 那珂川の遠い祖先はZvanosツワノスに対して無限の信頼を元禄(一六八八~一七〇三)の世まで語りついでいた。脊振山頂はこれを祭祀する天壇であった。神代の昔に海神が青玉白玉を祭壇に供えて船人の海路平らけく安らけくを祈った頃は右樞と左樞が相和し相睦むがごとく二つながら夜空を巡る頃であった。

注・〝Zvanosツワノス〟〝右樞〟はツバーンのことで、〝左樞〟がポラリスのことです。
(『儺の國の星拾遺』p.89)

ポイントは、

・北極星となる星を玉に仮託して祀っていたこと
・脊振山頂が祭祀の場所だったこと

の二つ。

二つの玉と海神と言えば安曇族の神話です。
今も志賀海神社を奉斎しているのは安曇氏ですから、関係ありそうです。

沖津宮に天御中主が祀られていることは、安曇族が北極星(北極星になる星)を玉に仮託して祭祀していたことを伝えていると思いました。

現在地に社殿が移ったとき、かつての天壇だった脊振山頂を指向したと考えると、すっきりします。
だから、志賀海神社の参道は脊振山頂を指しているのだと。

なんてね。
そんな解釈もある、と言う程度に見ていただければと思います。

『儺の國の星拾遺』には、天の御中主はケフェウス座のカペラだという記述もあって、そうだとすると全く違う話になります。

あくまでもこれはお遊びです。

[最終更新日]2019/11/04