暗黒の宇宙の彼方から白一条の彗星が大地に近づく。祖先はその白い光が地上の生命の源であったと信じてきた。天孫降臨の天浮橋の物語はまさにその描写に外ならなかった。
(『儺の國の星拾遺』 p.50)
彗星や流星などが地球にもたらす変化は歓迎されていたようです。
植物に影響を与え、突然変異が生まれることを期待されていたのです。
〝品種改良で生まれる種は弱いけれど天然の突然変異から生まれるものは強い〟とも書かれており、そういう意識が彗星の到来を望む気持ちを生んだようです。
そして「生命を生む」という性質から、彗星は国生み神話の二神の天浮橋の物語として描かれたのだそうです。
『日本書紀』ではこの部分になります。
伊弉諾尊。伊弉冊尊。立於天浮橋之上、共計曰。底下豈無国歟。
(『日本書紀』国史大系版 J-TEXT)
天浮橋を文字通りに解釈すれば、空に架かる橋桁の無い橋になります。
現実にそういう橋があるはずがないので、この箇所はチンダル現象の事だとも砂嘴の事だとも解釈されているようです。
ここにもう一つ、彗星の尾が加わるわけです。
Alkes⑰でハレー彗星の尾が北斗七星を覆うことを紹介していました。
この北斗七星をイザナギイザナミの二神に見立て、彗星の尾がかかる様子を天の浮橋とするのです。
そこで実際の様子をシミュレーション。
場所は最初に作られたと言う淤能碁呂嶋の候補地の一つ、南あわじ市の沼島にある自凝神社にしました。

ステラナビゲータ(パノラマ図はカシミール3D)で作成
別の時代ではこんな感じ。

うーん、天浮橋に見えるでしょうか?
ハレー彗星の尾は視野角180度にもなったことがあるようですので、何時の時代か北斗七星彗星の尾に乗っているように見えたことがあったかもしれませんね。
このシミュレーション図は私の遊びにすぎませんが、彗星の尾が天浮橋だという伝承が荒唐無稽なものではないことはわかると思います。
伝承にはなんらかの意味があるのでしょう。
『儺の國の星・拾遺』には、伊弉諾伊弉冉二神を北斗七星に見たてる話が他にもあり、そういう文化を持った人たちがいたことを示しているように思いました。
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余談ですが、シミュレーション図で見ると沼島の自凝神社のほぼ真北に「諭鶴羽山」というピークがあります。
私は全く知らなかったのですが、「ゆづるはやま」と読み、淡路島の最高峰であり信仰の山でもありました。
熊野権現が九州の英彦山から熊野神蔵の峯に渡ったときの通り道だとか。
そのような重要な山を真北に見る位置に自凝神社は建てられた、と言えるのかもしれないと思いました。