彗星は生命の源と考えられていたそうです。
『儺の國の星』『儺の國の星拾遺』より該当部分を引用します。
暗黒の宇宙の彼方から白一条の彗星が大地に近づく。祖先はその白い光が地上の生命の源であったと信じてきた。天孫降臨の天浮橋の物語はまさにその描写に外ならなかった。
(『儺の國の星拾遺』 p.50)
昔の人は新しい品種は天から授かるものと信じておりました。生命の起源は宇宙にありと言う概念は、極東の民族だけでありまして地中海文明は
混沌 たる世界から分離蒸発した宇宙に天と地の境なるところに生れた人間が昇天することになっておりました。
昔の人は日々の生活を向上させる新しい草木の品種は、総て星や雨や風から誕生すると信じておりました。これは宇宙空間の自然放射能による突然変異を期待してきた形になっております。現代科学による人口放射能から生成される生物異変はどれもこれも奇形ばかりで、しかも一代限りであります。ところが自然放射能から出る系統は永遠の進化能力を賦与 されております。昔の人は田廻り山廻りして常に新しい品種を採集してその種子を繁殖させておりました。(『儺の國の星』p.13 )
地上の生物の進化は、かくのごとき特殊な宇宙放射能によって突然変異と適者適存を五十六億七千万代の年月を経過して現在に至りました。
日本人の祖先はこの宇宙の神秘を造化の神々の所作と信じてきたのであります。(『儺の國の星』p.15 )
彗星接近の際何らかの変化が植物に起こったことがあり、《祖先はその白い光が地上の生命の源であったと信じてきた》のですね。
古代の人は、自然界の微小な変化を感じていたのでしょう。
「新しい品種は天から授かるもの」「宇宙空間の自然放射能による突然変異を期待してきた形」という考えには頷けるものがあります。
また、「昔の人は田廻り山廻りして常に新しい品種を採集してその種子を繁殖」したのだそうです。
自然交配や突然変異で新種ができることはあるので、そうして出来た種から豊かな実りがあることを経験的に知っていたのだと思います。
この箇所を読んだとき、私は「龍の瞳(いのちの壱)」というお米を思い浮かべました。
食味抜群のこのお米、偶然背が高い一群があったのを農家の方が大切に増やしたものだそうです。
まさに「日々の生活を向上させる新しい草木の品種」が「星や雨や風から誕生する」事を示した例ではないでしょうか。
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それにしても、彗星が世界の始まりという考え方があったことは驚きでした。
その考え方は、北辰信仰が現れる以前のスタンダードだったというのです。(アルケス⑧に詳述。)
面白いです。