前記事の続きです。
二十八宿の一つである「
次の図は、『儺の國の星拾遺』に引用されている堯帝七十年に最も近いハレー彗星の動きです。(日付の間隔は一定ではありません。全天図なので天頂部分がゆがんでいます。)
これによると、この年のハレー彗星は参宿(オリオン座)方向から近付いてきて光度を上げ、肉眼で見える頃(六等星)には奎宿(アンドロメダ座)にいます。
その後近日点を経て翼宿方向に去っていますが、この頃八等星くらいにまでなっています。
私は “翼は宇宙の彼方から飛来する彗星の門であった” とは、“彗星がやってくる方向” の意味だと思っていましたが、実際には彗星が飛び去っていく方向のようです。
周成王十八年に回帰した彗星についても見てみます。
シミュレーションでは、BC1999年の回帰になります。
この年も参宿方向から見え始め、翼宿方向に去っています。
彗星の見え方はその時々の地球との位置関係が影響しますので、ある時代に翼の方向から現れたことがあったのかもしれませんが、結果として“
門は出入りする場所ですから、確かにここから次の回帰に向かっていると捉えることも出来ますね。
伝承なのでいろいろ読み替えが必要なのかもしれませんが、彗星と
*《続日本紀では犬の刻即ち日暮から翌日が始まり、干支は深夜子刻が日界》『儺の國の星』p.105
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もう一度本文を引用します。
翼は宇宙の彼方から飛来する彗星の門であった。
竹書紀年 周成王十八(前一〇九八)年に、
鳳凰見る。事の河に有るを遂る。
武王没して成王少し。周公旦政を攝ること
七年。禮を制へ樂を作る。神鳥鳳凰見る。
蓂莢生ふ。乃ち成王と與に河洛に璧の沈め
るを観る、禮畢りて王退く。
同帝堯陶唐氏七十(前二二七九)年に
景星翼に出づ。草莢階に而て生ゆ。月の朔
に始めて一莢を生ず。月の半に十五莢を生
ず。十六日以後、日に一莢を落とす。乃ち
晦に而て盡く。月の小なれば、則ち一莢
焦 して而して落す。名を蓂莢と曰ふ。一
に暦莢とも曰ふ。
彗星が近日点を通過する前夜の描写である。(『儺の國の星拾遺』p. 50・p. 51)