コップ座のアルケスは中国式星座二十八宿の一つ「翼」を構成する星でもあります。
『儺の國の星拾遺』によれば、北辰妙見信仰以前はこの「翼」が万民の事始めの星だったとのこと。
北辰妙見が生命の始元という信仰が現れる以前は、すべて翼が万民の事始めになっていた。
(『儺の國の星拾遺』p.49)
〝北辰妙見信仰が生命の始元という信仰が現れ〟たのは、前漢の武帝が北極星(太一星)を祀ってからのこと。 (『史記』封禅書/郊祀志上)
とすると、「北辰信仰以前」とは、おそくとも前漢武帝時代以前を指すと考えられます。
ではなぜ「翼」が「万民の事始め」なのでしょうか?
それは、彗星がこのあたりに現れることが多く、いにしえの人は彗星を生命の発祥と捉えていたことに由来していました。
この星座のあたりは、古来よく彗星の見えはじめる空間である。(中略)古人は星に生命の発祥を求めていたから、稲を植え水を取る季節にあわせて星の
在處 をさがしていたのである。
(中略)
解体新書は安永三(一七七四)年に完成し、蘭学事始は文化十二(一八一五)年の擱筆である。四月を特に選びしは、古今彗星の翼に出づる例、卯月に多きに寄せたところである。(『儺の國の星拾遺』p. 49)翼は宇宙の彼方から飛来する彗星の門であった。
(『儺の國の星拾遺』p. 50)
引用文中の“古人は星に生命の発祥を求めていた”というのは、 地球の生命は隕石がもたらしたという説に通じるものがあります。(『儺の國の星拾遺』p.231にも同様の表現あり。)
実際、そういう隕石が発見されています。→Organic matter in extraterrestrial water-bearing salt crystals
また、宇宙からの飛来物が生命に何らかの影響を与えていたことは、知られていた話だったようです。
宇宙の彼方から天降る光が突然変異を起こすことによって、思はぬ近い未来に神品新種を期待してきた歴史があったのである。
(『儺の國の星』p.104)
宇宙は生命をもたらすものであり、その使者が彗星だと考えていたのなら、彗星が現れる星空つまり「翼」宿を、“始元”と捉えるのは道理です。
面白い話ですね。
この本の別の箇所では、堯帝がカレンダーの調整に彗星を利用していた話もあり四〇〇〇~四三〇〇年前(紀元前二〇〇〇~二三〇〇年頃)には彗星が重要視されていたことがうかがえます。
現在、行政の年度初めが四月になっているのは明治期の別の理由からですが、四月を始まりとすることにあまり抵抗がないのは、そういう概念が底流にあったからかもしれ無いと考えると 何とも興味深いことです。
(いくつかハレー彗星の回帰をシミュレートしたところ、4月~5月に明け方の東空に見え始める例がありました。)
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ここからは余談になります。
三皇五帝時代というと、神話や伝説の話だと思われていましたが、近年堯帝時代の遺跡が発掘され、実在した王朝だったことがわかっています。
発見された遺跡には天体観測施設とされるものもありました。
つまり、筆者の言う「北辰妙見信仰以前の星の祀り」があった傍証になると思うのです。
そしてこれは当時の日本列島にももたらされていたのではないかと思います。
(別のページには、彗星の別名を志登星といい、糸島の志登神社は古い形を残していると言う話もあります。)
遺跡を空撮した動画を紹介しますので良かったらご覧ください。
この時代に既にこのような観測が行われていたことを心にとめていただけると嬉しいです。
16分10秒あたりからの太陽観測遺跡の半円状の立柱群は感動的です。
人民網日本語版の記事