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Zuhr⑭ 皇太子はいつの世も天皇に奉るべき暦書の編纂と暦日の観測が業務だった

獅子座の別名に大食星たいじのほし太子星たいしのほしがあるそうです。

「大食星」は獅子が万物を食い尽くすことから来ているとのこと。
獅子座だからライオンのイメージなのですね。
半円状の星の並びを托鉢の鉢に見立てて「大食」としたとも書かれています。
(ただし語尾が「かもしれない」なので、この説は筆者の想像。)

なぜか藤原鎌足の大織冠の話も出ています。

この流れだと「大織冠」という名称は獅子座に由来していると取れますが、当時の人達には、
大織=大食=獅子
という図式は当然のことだったのでしょうか。
それとも真鍋家がそう理解しているということでしょうか。
ちょっとこじつけっぽいですね。
藤原鎌足、というか中臣鎌子の属した氏族は春分を元旦としていたようです。

そして「太子星」の名称もあったとのこと。
皇太子の業務に暦書の編纂と暦日の観測があり、獅子座が暦の基準となる星だからのようです。
(別の箇所では、暦の編纂を受け継ぐから皇太子のことを「日嗣の御子」と言うのだと書いてありました。)

暦を管轄するのが統治者なのですね。
だから実用に叶う暦を策定するのは、ある意味信頼を得ることにもなるのですね。

皇太子もですが、天皇ももちろん暦を策定します。

以前、「太宰府」という名称は、天皇一世一代の暦正をさだめる儀式「太歳」から来ているという話を紹介しました。(参照:「太宰」府とは?

今一度「太歳」の箇所を引用し、紹介します。

太歳とは天皇の一世一代の間の暦制を さだめる儀式でありまして、即位の大典の前後におこなわれます。太陽暦の四季の初日たる立春立夏立秋立冬および四季の中なる春分夏至秋分冬至と太陽(ママ)暦の朔望が一致する日を選びました。

(『儺の國の星』p.84)

*私注
太陽暦=「太陰暦」の誤りと思われます。

天皇一代の暦法を選定する儀式を太歳と言う。神武帝(前七〇七~五八二、在位前六六〇~五八五)ならば即位前七(前六六七)年甲寅であり、持統帝(六四五~七〇二、在位六八七~六九七)ならば即位元(六八七)年丁亥が太歳である。

(『儺の國の星拾遺』p.21)

太歳は宣明暦が採用されるまで行われていたそうです。

ところで、このページでいう「皇太子」とは中大兄皇子のことではないかと思えます。どうでしょう??
獅子座Zuhrの章は、中臣氏と中大兄皇子に関する内容が多い気がします。
中臣氏の天文知識・祭祀と関わる暦の画期があったように感じました。

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