うきは市の賀茂神社。
赤い門が迎えてくれます。
なんとなく、宇佐神宮の呉橋っぽいなぁと思いました。
楼門の形と縁起に関係があるのかどうかわかりませんが、この神社の旧記には祭神の賀茂大神が宇佐から来たと書かれているそうです。
当社の行直大宮司が慶安4年(1651年)に誌した旧記には、
「賀茂大神は最初にこの地に天降り鎮座され、神武天皇が日向から大和へ御東遷のみぎり、宇佐から山北へ来られ賀茂大神は八咫烏(やたがらす)となって御東幸を助け奉られたので、今も神武天皇と賀茂大神を奉祀する」
と述べている。
境内にはきれいな水が流れており、石製の神橋がかかっています。
すぐそばを流れる隈ノ上川からわざわざ引かれた流れのようでした。
(川沿いの昔の水門は埋められていて、現在は別の所から引かれていました。)
神紋は二葉葵(蕾付)。
鉢植えになってますが、これも含めて紋なのでしょうか。
面白いです。
神社の略記。
祭神のところを拡大しました。
恵方盤。
境内には石碑がたくさん。
浮羽町山北と言うところに「山北石工」という技能集団が居たそうです。
傘塔婆スタイルが多いのはこの地の特徴でしょうか。
境内摂社もたくさんありました。
その中で気になったのが猿田彦大神。
なぜなら、石碑の根元に大黒様がたくさん置かれていたのです。
猿田彦と大黒様の取り合わせは何を意味しているのでしょう。
小川の中に麗々しく石が祀られていました。
近くには元宮様と言われる境外摂社、三次神社があります。
人皇第12代景行天皇18年西国を巡狩された時、この山北の地で霊畤(まつりノにわ)を立てられ、楯と矛を奉られて天神地祈を祭り熊襲の静謐(せいひつ)を祈られ、後に日本武尊、仲哀天皇も、神祈を祭られた事が起源となった。
(賀茂神社>三次神社/ウィキペディア)
高良大社の紋らしきものもありました。
タブレットではうまく撮れなくて、よくわからないですね。
社家の熊懐氏は武内宿禰の子孫でいらっしゃるとのことでした。
高良大社の紋はそれ故でしょうか?
お隣にも神社がありました。
どうやら古墳群だった模様。
項を改めて書こうと思います。